ウォーデン・フラッド (1735-1797)
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ウォーデン・フラッド(英語: Warden Flood、1735年 – 1797年3月)は、アイルランド王国の政治家。1769年から1797年までアイルランド庶民院議員を務めた[1]。
生涯
[編集]フランシス・フラッド(Francis Flood、ジョン・フラッドの三男)と妻フランシス(Frances、旧姓ハットン(Hatton)、ヘンリー・ハットンの娘)の長男として[2]、1735年に生まれた[1]。
1769年から1776年までロングフォード・バラ選挙区の代表として、1776年から1783年までカリスフォート選挙区の代表として、1783年から1790年までバルティングラス選挙区の代表として、1790年から1797年までタグモン選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[1]。
議員在任中に法案を4度提出したが、いずれも正式な法律にならなかった[3]。
1797年3月に自宅で死去した[1]。
家族
[編集]1761年8月21日、アン・ドノヴァン(Anne Donovan、モーガン・ドノヴァンの娘)と結婚、4男1女をもうけた[2]。
- ウォーデン(1797年以前没) - 生涯未婚、父に先立って死去[2]
- フランシス - 陸軍大尉、生涯未婚[2]
- ヘンリー(1769年 – 1840年11月) - 1815年9月2日、アンナ・マリア・レノン(Anna Maria Lennon、ヘンリー・レノンの娘)と結婚、子供あり[2]
- オドノヴァン(O'Donovan) - 陸軍軍人、フランス革命戦争に参戦。1800年12月、アンヌ・ヴィニョー(Anne Vignau)と結婚、子供あり[2]
- マリアン(Marianne) - ステュアート・ハミルトン(Stuart Hamilton)と結婚[2]
出典
[編集]- ^ a b c d "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2020年3月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g Burke, Sir Bernard; Fox-Davies, Arthur Charles, eds. (1912). A Genealogical and Hearldic History of the Landed Gentry of Ireland (英語). London: Harrison & Sons. pp. 235–236.
- ^ "Warden Flood". Irigh Legislation Database (英語). Queen's University Belfast. 2020年3月27日閲覧。
アイルランド議会 | ||
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先代 ヘンリー・フラッド デイヴィッド・ラ・トゥッシュ |
庶民院議員(ロングフォード・バラ選挙区選出) 1769年 – 1776年 同職:デイヴィッド・ラ・トゥッシュ |
次代 ジョン・タナディン デイヴィッド・ラ・トゥッシュ |
先代 サー・ロバート・ディーン準男爵 ウィリアム・メイン |
庶民院議員(カリスフォート選挙区選出) 1776年 – 1783年 同職:トマス・オズボーン |
次代 トマス・オズボーン サー・ウィリアム・オズボーン準男爵 |
先代 ベンジャミン・ストラトフォード閣下 エドワード・ストラトフォード閣下 |
庶民院議員(バルティングラス選挙区選出) 1783年 – 1790年 同職:ジェームズ・サマーヴィル 1783年 サー・ジョン・ジョンソン準男爵 1784年 – 1790年 |
次代 ジョン・ストラトフォード閣下 ベンジャミン・ストラトフォード閣下 |
先代 ロバート・スタッバー ジョン・ヒーリー=ハッチンソン閣下 |
庶民院議員(タグモン選挙区選出) 1790年 – 1797年 同職:ジョン・ヒーリー=ハッチンソン 1790年 – 1794年 クリストファー・ヒーリー=ハッチンソン 1795年 – 1796年 チャールズ・マクドネル 1796年 – 1797年 |
次代 チャールズ・マクドネル ロバート・ラットレッジ |