ウズベク・ソビエト社会主義共和国の国旗
用途及び属性 | ? |
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縦横比 | 1:2 |
制定日 | 1952年8月29日 |
使用色 | 赤色、青色、白色、金色 |
根拠法令 | ウズベク・ソビエト社会主義共和国の国旗に関する規則 |
ウズベク・ソビエト社会主義共和国の国旗は、正式には1927年に最初に制定され、その後幾度かのデザイン変更を経て、1952年制定のものがソビエト連邦の崩壊まで使用された。
変遷
[編集]1925年7月22日、ウズベク社会主義ソビエト共和国中央執行委員会は、第67号決議「ウズベク社会主義ソビエト共和国の国章と国旗について」により、憲法の採択を待つ間の暫定的な国旗として次のものを採択した[1]。
1927年3月30日から翌31日にかけて開催された第2回全ウズベク・ソビエト大会において採択され、7月11日に公布された憲法の第113条では、国旗については縦横比を1対2とした他は1925年のデザインが追認された[1]。
しかし、年内の第4回中央執行委会議では憲法第113条に変更が加えられ、国旗にはタジク語での国名表記が追加された[1]。
さらに同会議ではウズベク語アルファベットのアラビア文字からラテン文字への表記変更方針が確認され、この変更は1929年5月9日の第3回全ウズベク・ソビエト大会において承認された[1]。
さらに、同年のタジク自治社会主義ソビエト共和国のウズベク共和国からの分離・昇格により、1931年2月28日に採択された改正ウズベク共和国憲法の第113条によって、国旗からタジク語での国名表記は削除された[1]。
1934年には、ウズベク語における「社会主義」の訳語に変更が加えられた[1]。
次いで翌1935年には、ウズベク語における「共和国」の訳語に変更が加えられた[1]。
さらに、1937年2月14日の第6回臨時全ウズベク・ソビエト大会において採択された新憲法の第144条においては、国旗については次のように定められている[1]。
ウズベク・ソビエト社会主義共和国の国旗は赤旗であり、その上部隅旗竿付近には金色で次のように表示する。
a) 上段にウズベク語で „Ozbekistan S.S.R.“
b) 下段にロシア語で «Узбекская С.С.Р.»
1941年1月16日には、再度ウズベク語アルファベットをキリル文字へと切り替える最高会議幹部会令が制定された[1]。
1952年8月29日、最高会議幹部会は、芸術家アナトリー・オシェイコのデザインによる新たな国旗を承認した[1]。
翌1953年5月30日の法令によってこの変更は承認され、憲法第144条にも反映された[1]。1974年9月27日には最高会議幹部会令「ウズベク・ソビエト社会主義共和国の国旗に関する規則」により、デザインについての細則が定められた[1]。
ウズベク・ソビエト社会主義共和国の国旗は、中央全幅に青い帯を配した赤い矩形の布である。青い帯は縁に旗の高さの100分の1の太さの白い領域を持ち、青い帯と白い縁を合わせた幅は旗の高さの5分の1である。
旗の上部旗竿付近の赤い領域には、金色の鎌と槌を、その上部に金色の縁取りを持つ赤い五芒星を表示する。高さに対する幅の比は1:2である。鎌と槌は辺長を旗の高さの5分の1とする正方形に収まる。鎌の鋭端は正方形の上辺中点に接し、鎌と槌の柄は下辺両端に接する。柄を含めた槌の長さは正方形の対角線の4分の3とする。五芒星は旗の高さの10分の1を直径とし、正方形の上辺に接する円に収まる。星と鎌と槌の垂直軸から旗竿までの距離は、旗の高さの3分の1とする。旗の上端から星の中心までの距離は、旗の高さの10分の1とする。
デザインの意味は公式には説明されなかったが、白い縁は綿花栽培を、青い帯はアムダリヤ川や灌漑を象徴すると捉えられていた[1]。
その後、1990年6月20日のウズベク共和国主権宣言と翌1991年8月31日のウズベキスタン独立宣言を経て、11月18日に新たにウズベキスタンの国旗が制定された[2]。