ウラジミール・ラドマノビッチ
現役時代 (ゴールデンステート・ウォリアーズ) のラドマノヴィッチ (2011年) | |||||||||||||||
引退 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ポジション | SF/PF | ||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||
愛称 | Radman | ||||||||||||||
セルビア語 | Владимир Радмановић | ||||||||||||||
国籍 | セルビア | ||||||||||||||
生年月日 | 1980年11月19日(44歳) | ||||||||||||||
出身地 |
ユーゴスラビア ボスニア・ヘルツェゴビナ トレビニェ | ||||||||||||||
身長(現役時) | 208cm (6 ft 10 in) | ||||||||||||||
体重(現役時) | 106kg (234 lb) | ||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||
出身 | レッドスター・ベオグラード | ||||||||||||||
ドラフト | 2001年 12位 | ||||||||||||||
選手経歴 | |||||||||||||||
1997-2001 2001 2001-2006 2006 2006-2009 2009 2009-2011 2011-2012 2012-2013 |
レッドスター・ベオグラード ジェレズニク・ベオグラード シアトル・スーパーソニックス ロサンゼルス・クリッパーズ ロサンゼルス・レイカーズ シャーロット・ボブキャッツ ゴールデンステート・ウォリアーズ アトランタ・ホークス シカゴ・ブルズ | ||||||||||||||
Stats Basketball-Reference.com | |||||||||||||||
代表歴 | |||||||||||||||
キャップ |
2002年 2004年-2005年 | ||||||||||||||
|
ヴラディミル・ラドマノヴィッチ(セルビア語: Владимир Радмановић,英語: Vladimir Radmanović、1980年11月19日 - )は、セルビアのプロバスケットボール選手。元NBA選手。ユーゴスラビア連邦ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国トレビニェ出身。ポジションは主にスモールフォワード。
略歴
[編集]セルビア人の血統である彼はユーゴスラビアボスニア・ヘルツェゴビナのトレビニェ地方の街トレビニェで生まれ、その後地方を転々としながら育った。NBA入り前は、現セルビアのベオグラード等のクラブチームで力をつけて行った。
シアトル・スーパーソニックス
[編集]2001年のNBAドラフトにおいてシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)より全体12位指名でNBA入りを果たした。3年目の2003-04シーズンには12得点と5.3リバウンドと飛躍し、NBAシックスマン賞の候補にも名前が挙がった。ソニックスには5シーズン在籍し、ベンチスタートから3ポイントシューターとして好成績を残した。チームは6年4200万ドルの長期契約を求めたが、ラドマノビッチがこれを拒否し1年契約の後にFAになることを選択した。理由は控えメンバーであったため。
ロサンゼルス・クリッパーズ
[編集]2006年2月、クリス・ウィルコックスとのトレードでロサンゼルス・クリッパーズへ移籍。3ポイント成功率41.8%に加え5.7リバウンドと及第点の成績を残した。しかし、その後クリッパーズとは契約延長せず半シーズンのみの在籍であった。
ロサンゼルス・レイカーズ
[編集]2006年オフシーズン、FAとなりロサンゼルス・レイカーズとミッドレベルの上限額で契約。トライアングルオフェンスにおけるシューターの役割を果たす彼はフィル・ジャクソンのお気に入りの選手でもあり、近年は先発出場も多くなっている。
2007年2月18日、レイカーズからラドマノビッチがオールスターブレイク中にユタ州パークシティで氷の上で転倒したことにより右肩を脱臼し、全治2か月の怪我を負ったことが発表された[1]。しかし2月23日に実際には契約で禁止されていたスノーボードによって負傷したことが発覚[2]。3月1日にレイカーズはラドマノビッチに対し、年俸の10分の1にあたる50万ドルの罰金処分を科した[3]。
2008年にはNBAファイナルに進出。ボストン・セルティックスのポール・ピアースとのマッチアップではディフェンスでファウルトラブルに陥り、満足な仕事ができないまま敗退した。2008-09シーズン、レイカーズにはスモールフォワードの同ポジションにラマー・オドム、トレバー・アリーザ、ルーク・ウォルトンなどとポジションを争った。
シャーロット・ボブキャッツ
[編集]2009年2月7日にアダム・モリソン、シャノン・ブラウンとの交換トレードでシャーロット・ボブキャッツへ移籍した[4]。
ゴールデンステート・ウォリアーズ
[編集]2009年11月16日、ラジャ・ベルと共にスティーブン・ジャクソン、エイシー・ローとのトレードでゴールデンステート・ウォリアーズへ移籍した[5]。
アトランタ・ホークス
[編集]2011年12月9日、アトランタ・ホークスと1年契約を結んだ[6]。 12月26日の試合では27分間の出場で17得点、4スティール、5アシストの活躍を見せた[7]。
シカゴ・ブルズ
[編集]2012年7月14日、シカゴ・ブルズに移籍。シーズン終了後に引退を表明した。
脚注
[編集]- ^ “LAKERS FORWARD VLADIMIR RADMANOVIC SUFFERS SEPARATED SHOULDER”. Lakers.com (2007年2月18日). 2008年11月9日閲覧。
- ^ “Radmanovic says he lied about shoulder injury”. AP通信 (2007年2月23日). 2008年11月9日閲覧。
- ^ “Radmanovic fined by Lakers for lying about injury”. ESPN (2007年3月2日). 2008年11月9日閲覧。
- ^ “Lakers swap Radmanovic for Morrison”. ESPN (2009年2月7日). 2009年2月8日閲覧。
- ^ “Warriors trade Jackson to Bobcats”. ESPN (2009年11月17日). 2012年6月24日閲覧。
- ^ “HAWKS SIGN VLADIMIR RADMANOVIC”. nba.com (2011年12月9日). 2012年6月24日閲覧。
- ^ Philip De Guzman (2012年1月9日). “Fantasy Basketball: 5 Must-Adds for Week 3”. bleacherreport.com. 2012年6月24日閲覧。
関連項目
[編集]脚注
[編集]
|
|