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トニー・パーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トニー・パーカー
Tony Parker
サンアントニオ・スパーズでのパーカー
(2010年)
アスヴェル・バスケット
役職 オーナー
所属リーグ LNB
ユーロリーグ
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1982-05-17) 1982年5月17日(42歳)
出身地 ベルギーの旗 ベルギー
ウェスト=フランデレン州ブルッヘ
身長(現役時) 188cm (6 ft 2 in)
体重(現役時) 84kg (185 lb)
キャリア情報
高校 INSEP英語版
NBAドラフト 2001年 / 1巡目 / 全体28位[3]
プロ選手期間 1999年–2019年
ポジション PG
背番号歴 9
永久欠番 スパーズ  9 
経歴
選手時代:
1999–2001パリス・バスケット・レーシング英語版
20012018サンアントニオ・スパーズ
2011アスヴェル・リオン=ヴィルールバンヌ
2018–2019シャーロット・ホーネッツ
エグゼクティブ時代:
2009–アスヴェル・バスケット
受賞歴

選手時代

エグゼクティブ時代

  • 4×LNBチャンピオン (2016, 2019, 2021, 2022)
  • 2×フレンチカップチャンピオン (2019, 2021)
  • フレンチスーパーカップチャンピオン (2016)
NBA通算成績
得点 19,473 (15.5 ppg)
リバウンド 3,396 (2.7 rpg)
アシスト 7,036 (5.6 apg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細)
代表歴
キャップ フランスの旗 フランス
獲得メダル
フランスの旗 フランス
ユーロバスケット
金メダル - 1位 2013 スロベニア
銀メダル - 2位 2011 リトアニア
銅メダル - 3位 2005 セルビア
銅メダル - 3位 2015 フランス
U-18 ヨーロッパ選手権
金メダル - 1位 2000 クロアチア

トニー・パーカーTony Parker)ことウィリアム・アンソニー・パーカー・ジュニアWilliam Anthony Parker Jr., 1982年5月17日 - )は、フランスの元プロバスケットボール選手NBAサンアントニオ・スパーズなどで活躍した。ポジションはポイントガード。現在は、LNBアスヴェル・バスケットでオーナーを務めている。父はアメリカ人の元バスケット選手で母はオランダ人の元モデル。ベルギーブルッヘ生まれでフランスで育ち、フランス国籍を持つ。

略歴

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フランス国内ジュニア

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ジュニアの国内選手権では平均30得点7アシスト、幾度も20得点を達成するなど華々しい活躍で準優勝を果たした。15歳の頃にはパリ国立体育・スポーツ研究センター(INSEP[1])に入り、ここで後にNBAでプレイするボリス・ディアウロニー・トゥリアフらと出会った。INSEP(チームは第3部)での2年目となった98-99シーズン、パーカーは16歳ながら平均22.1得点でリーグの得点王になった。この活躍でプロバスケットボールリーグLNBのパリ・バスケット・レーシングと契約、17歳でプロデビューを果たし、プロ2年目にはチームのエース格に成長し、14.7得点5.6アシストの成績を残した。また2000年のジュニア・ヨーロッパ選手権では優勝を果たした。

NBA

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サンアントニオ・スパーズ

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19歳になったパーカーはNBAドラフトにエントリーする。しかしサンアントニオ・スパーズでの最初のワークアウトは大失敗に終わり、グレッグ・ポポヴィッチHCからは大変に低い評価を受けた。しかし2度目のワークアウトで何とか眼鏡に適うようになり、2001年のNBAドラフトでスパーズから全体の28位指名を受けて入団した。スパーズの首脳陣はその時点でパーカーが他球団に指名されずに残っていることに驚いていた。もっともポポヴィッチはパーカーの指名に反対していたが、R・C・ビュフォードGMがポポヴィッチの反対意見を振り切り強行指名した。パーカーは「R・Cがいなかったら、僕がNBAでプレーすることはなかっただろう」と振り返っている。

 2001-02シーズン にNBAデビューを果たしてからも暫くの間はポポヴィッチHCの叱咤を受ける日々が続いたが、抜群のスピードとクイックネスは即戦力として通用した。開幕スターティングPGのポジションにはリーグ5年目だったアントニオ・ダニエルズがいたが、開幕5試合目を終えたところでポポヴィッチHCはスターティングPGをパーカーに変更。ルーキーながら、77試合中72試合にスターターで出場し、9.2得点、4.3アシストの成績を残し、オールルーキーファーストチームに選出された。

 2002-03シーズン は早くもチームの主力として全82試合出場を果たし、平均15.5得点はチーム2番目の成績だった。大黒柱のティム・ダンカンとパーカーに牽引されたチームはプレイオフを勝ち進み、4シーズンぶりにファイナルに進出。当時のトップPGジェイソン・キッド率いるニュージャージー・ネッツを4勝2敗で破り、NBAチャンピオンに輝いた。シリーズ中平均14得点を記録したパーカーは2年目にして早くも1つ目のチャンピオンリングを手に入れることになった。

2005年、スパーズでプレイするパーカー

 2003-04シーズン 長らくスパーズを支えてきたデビッド・ロビンソンがシーズン前に引退し、スパーズはダンカンにパーカー、そしてアルゼンチン出身のマヌ・ジノビリらを中心としたチームに移行した。優勝を果たしながらもポポヴィッチらチームの首脳陣はパーカーのプレイ振りには満足しておらず、試合の終盤には、スピーディ・クラクストンが起用される場面が多かった。このオフにはジェイソン・キッドの獲得に動いたが、実現には至らず。パーカーはチャンピオンチームの先発の座を死守した。 この年のプレーオフはカンファレンスセミファイナルでロサンゼルス・レイカーズに破れ、連覇はならなかった。

 2004-05シーズン は2位でプレーオフ進出。そしてファイナルまで勝ち進む。前シーズンチャンピオンチームのデトロイト・ピストンズと対戦し、パーカーは前シーズンファイナルMVPのチャンシー・ビラップスとマッチアップ。ピストンズの堅いディフェンスにスパーズは苦しめられたが、ジノビリがチームを牽引する活躍をし、またパーカーも平均13.9得点でチームに貢献、ゲーム7までもつれたシリーズをスパーズが制し、パーカーは2つ目のチャンピオンリングを手にした。

 2005-06シーズン パーカーは苦手だったロングレンジからのシュートを封印し、得意のペネトレイトからの得点により磨きをかけたことにより、フィールドゴール成功率が急上昇し、PGとしては異例の54.8%を記録。故障を抱え不調だったダンカンに代わりチームのリーディングスコアラーとして活躍し、平均18.9得点の成績を残し、初めてオールスターゲームに選出された。スパーズはチーム記録となる63勝19敗の成績を残したが、プレイオフではカンファレンスセミファイナルで宿敵ダラス・マーベリックスに敗れた。

 2006-07シーズン にはダンカンが復調し、スパーズは順調に勝ち続け、プレイオフでも対戦相手を次々と退けてファイナルに進出。レブロン・ジェームズ率いるクリーブランド・キャバリアーズと対戦した。このシリーズでパーカーは独擅場とも言える働き振りを見せ、平均24.5得点5リバウンド3.3アシスト、フィールドゴール成功率は57%を記録し、キャバリアーズを4戦全勝のスイープで打ち破った。パーカーはファイナル制覇3回目にして初のファイナルMVPを獲得、7月に控えた婚約者との挙式に華を添えた。 24歳になる以前に出場したプレイオフの試合数がNBA史上最多という記録を持つ。

07–08シーズン,vsウィザーズ戦にてアリーナスとマッチアップするパーカー

 2007-08シーズン スタッツは昨年とほぼ変わらないが足の怪我により13試合に欠場。連覇が目標だったがカンファレンスファイナルでロサンゼルス・レイカーズに1勝しかできずに敗れる。

 2008-09シーズン チームは73年以来の開幕3連敗をしてしまう。しかし4戦目のミネソタ・ティンバーウルブズ戦でパーカーはキャリアハイの55得点10アシストの大活躍で連敗を止めた。NBA史上50得点、10アシストを成し遂げたのは彼で4人目であった。

 2009-10シーズン 怪我のため出場試合数は56に止まり、平均得点も前年より大きく下げた。パーカーの怪我により大幅に出場時間を増やしたジョージ・ヒルが期待を上回る活躍を見せ、オフにはパーカーをトレードで放出する案も浮上したが、結局、契約を延長した。

 2010-11シーズン 調子を戻し、フィールドゴール%も50%を超えたが、プレイオフでは、パーカーは好調を維持したが、チーム全体が勝負強さを欠き、1回戦で第8シードのメンフィス・グリズリーズにアップセットされるという事態を招いた。

 2011-12シーズン 2009年以来のNBAオールスターゲームのメンバーに選出。チームもシカゴ・ブルズと並ぶ50勝16敗のリーグ最高勝率でシーズン終了。プレーオフもユタ・ジャズロサンゼルス・クリッパーズを4戦全勝で下し、カンファレンスファイナルは新興勢力のオクラホマシティ・サンダーとなった。まずはスパーズが2勝をあげる。しかしここから、ケビン・デュラントラッセル・ウェストブルックジェームス・ハーデンなど、若さ溢れるタレント集団が、驚異的な巻き返しを見せ、その後はまさかの4連敗を喫し、2007年以来のNBAファイナル進出はならず、パーカーにとっても失意のシーズンとなった。

 2012-13シーズン 6年振りにウェスタンカンファレンスを制し、ファイナルはレブロン・ジェームズドウェイン・ウェイドクリス・ボッシュビッグスリー擁するマイアミ・ヒートとの対戦となった。パーカーは第1戦で体勢を崩しながらも決勝シュートを決め、ヒートを3勝2敗まで追い詰めたが、第6戦の勝利間近でのレイ・アレンの同点3ポイントシュートから形勢を逆転され、3勝4敗で屈した。

 2013-14シーズン リーグ最高勝率で勝ち上がり、プレーオフはダラス・マーベリックスに苦しめられたものの順調に勝ち上がり、カンファレンスファイナルは2シーズン前にファイナル進出を阻まれたオクラホマシティ・サンダーとの対決となった。スパーズは2連勝したもののその後2連敗を喫し、2シーズン前の悪夢が蘇るところだったが、ここでパーカーらが奮起し、2連勝しウェスタンカンファレンスを制した。そしてマイアミ・ヒートとの再戦となったNBAファイナルは、終始ヒートを圧倒し、7年振りにNBA優勝。パーカー自身も通算4個目のNBAチャンピオンリングを獲得した。

 2014-15シーズン 疲労の蓄積による欠場が増え、パティ・ミルズコーリー・ジョセフなどに出場機会を譲ることが多くなったものの、ティム・ダンカンらと共にチームを牽引した。 2015年3月31日のマイアミ・ヒート戦に出場し、NBA史上最速で1,000試合出場を果たした。NBAで1,000試合出場を達成した114人目で、スパーズのみでの達成ではティム・ダンカンに続く2人目の選手[2]であり、この時点での勝利数は718で、勝率でも歴代トップクラスに位置する。 チームは終盤戦の11連勝などで追い込み、55勝27敗の成績で、NBA初の16年連続50勝以上という偉業を達成。しかしウェスタンカンファレンス6位で終わり、上位シード権を失ってしまった。そしてロサンゼルス・クリッパーズとの対戦となったプレーオフ1stラウンドは、パーカー自身左足アキレス腱の負傷を抱えながらも奮闘したが、チームは3勝4敗で屈した。同シーズンについてパーカーは、「非常にタフでクレイジーなシーズンだったよ」と振り返っている。

 2015-16シーズン スパーズはラマーカス・オルドリッジを獲得し、カワイ・レナードの成長も相まってフランチャイズ記録となる67勝を記録し、パーカーは平均11.9得点を記録した。プレーオフに進み、メンフィス・グリズリーズをスィープで下したが、カンファレンス準決勝でオクラホマシティ・サンダーに2勝4敗で敗れた。

 2016-17シーズン チームの大黒柱であったティム・ダンカンが引退し、パウ・ガソルがその代わりを務めるべくシカゴ・ブルズから移籍し、61勝21敗でレギュラーシーズンを締め、フランチャイズ初となる2年連続の60勝以上を達成した。パーカーは63試合に出場し平均10.1得点を記録した。プレーオフは第2シードで前シーズンと同じメンフィス・グリズリーズと対戦し、4勝2敗でヒューストン・ロケッツとのカンファレンス準決勝に臨んだ。これまで好調を維持してきたパーカーであったが、第二戦の4クォーターに、ペイント内へのドライブ時に左の大腿四頭筋の腱を断裂し、以降のゲームに出場できないことが決まった[3]。また実戦復帰は2018年1月頃になるとも報じられた[4]

 2017-18シーズン 前シーズンのプレーオフでの負傷で、復帰が2018年明けになると報じられたが、2017年11月に年中に復帰できるのではないかと報じられた[5]

2017年11月27日のダラス・マーベリックス戦で、復帰出場を果たし、このシーズンは55試合に出場し、シーズン途中の1月21日、グレッグ・ポポヴィッチヘッドコーチの決断で、長年ポイントガードのスタータを務めてきたパーカーは控えにまわり、ディジョンテ・マリーをスターターに起用することが発表された[6]

2018年4月22日のプレーオフ1stラウンド、ホーム2戦目となるゲーム4で、フィジカルなディフェンスと3ポイント攻勢で103-90で勝利し、[7]。この勝利で、パーカーとマヌ・ジノビリは、コンビとしてプレーオフ勝利数を132として、NBA最多勝利デュオとなった。2位はティム・ダンカンとパーカーの131勝、3位はティム・ダンカンとジノビリの126勝、4位はコービー・ブライアントデレク・フィッシャーの123勝、5位はマイケル・ジョーダンスコッティ・ピッペンの117勝。

シャーロット・ホーネッツ

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 2018-19シーズン 2018年7月6日、シャーロット・ホーネッツと、2年1,000万ドルで契約することが報じられた[8][9]

2019年6月10日、現役引退を発表し、18年に渡るNBAキャリアを終えた。[10]

引退後の現地2019年8月16日、スパーズはパーカーの背番号9を永久欠番とすることを発表した。セレモニーは現地11月11日のメンフィス・グリズリーズ戦で行われた[11]

スパーズ・ビッグスリー

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ティム・ダンカンマヌ・ジノビリとともに、スパーズのビッグスリーと呼ばれ、トリオ通算レギュラーシーズン試合数、通算勝利数、通算プレーオフ試合数、通算勝利数の全てでNBA歴代1位である。

デプス

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プレイスタイル

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強気なゲームメイクと相手守備を切り裂くスピードを持ち味とするリーグ屈指のポイントガード。身長は188cmでNBA選手としては小柄だが、味方のスクリーンを使い、スピンムーブなどのドリブルテクニックを駆使したドライブから、ペイントエリアで得点を量産する。フィールドゴール成功率もキャリア平均で50%に近く[12]、ガードの選手としてはきわめて高い数字を残している[13]ティアドロップショットと呼ばれる中距離から放つアーチの高いレイアップシュートはパーカーの大きな武器のひとつである(アレン・アイバーソンなど小柄な選手が得意としている)。ミドルレンジからのジャンプシュートを得意とし、3ポイントシュートは苦手としていたがキャリアの中盤から徐々に改善した[14]。  

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

NBAレギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS 勝率 MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
2001–02 SAS 77 72 55 22 .764 29.4 .419 .323 .675 2.6 4.3 1.2 .1 2.0 9.2
2002–03 SAS 82 82 60 22 .732 33.8 .464 .337 .755 2.6 5.3 .9 .1 2.4 15.5
2003–04 SAS 75 75 54 21 .720 34.4 .447 .312 .702 3.2 5.5 .8 .0 2.4 14.7
2004–05 SAS 80 80 58 22 .725 34.2 .482 .276 .650 3.7 6.1 1.2 .1 2.7 16.6
2005–06 SAS 80 80 61 19 .763 33.9 .548 .306 .707 3.3 5.8 1.0 .1 3.1 18.9
2006–07 SAS 77 77 55 22 .714 32.5 .520 .395 .783 3.2 5.5 1.1 .1 2.5 18.6
2007–08 SAS 69 68 48 21 .696 33.5 .494 .258 .715 3.2 6.0 .8 .1 2.4 18.8
2008–09 SAS 72 71 47 25 .653 34.1 .506 .292 .782 3.1 6.9 .9 .1 2.6 22.0
2009–10 SAS 56 50 34 22 .607 30.9 .487 .294 .756 2.4 5.7 .5 .1 2.7 16.0
2010–11 SAS 78 78 60 18 .769 32.4 .519 .357 .769 3.1 6.6 1.2 .0 2.6 17.5
2011–12 SAS 60 60 47 13 .783 32.0 .480 .230 .799 2.9 7.7 1.0 .1 2.6 18.3
2012–13 SAS 66 66 47 19 .712 32.9 .522 .353 .845 3.0 7.6 .8 .1 2.6 20.3
2013–14 SAS 68 68 51 17 .750 29.4 .499 .373 .811 2.3 5.7 .5 .1 2.2 16.7
2014–15 SAS 68 68 48 20 .701 28.7 .486 .427 .783 1.9 4.9 .6 0 2.1 14.4
2015–16 SAS 72 72 59 13 .819 27.5 .493 .415 .760 2.4 5.3 .8 .2 1.8 11.9
2016–17 SAS 63 63 46 17 .730 25.2 .466 .333 .726 1.8 4.5 .5 .0 1.4 10.1
2017–18 SAS 55 21 32 23 .582 19.5 .459 .270 .705 1.7 3.5 .5 .0 1.2 7.7
SAS Career 1,198 1,151 862 336 .720 31.1 .492 .326 .752 2.8 5.7 .9 .1 2.3 15.8
2018–19 CHA 56 0 30 26 .536 17.9 .460 .255 .734 1.5 3.7 .4 .1 1.3 9.5
All Career 1,254 1,151 892 362 .711 30.5 .491 .324 .751 2.7 5.6 .8 .1 2.3 15.5


シーズン チーム GP GS 勝率 MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
オールスター ウェスト 6 0 4 2 .785 18.3 .522 .167 1.000 1.8 4.7 .8 .0 2.7 8.8

NBAプレーオフ

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シーズン チーム GP GS 勝率 MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
2002 SAS 10 10 4 6 .400 34.1 .456 .370 .750 2.9 4.0 .9 .1 2.2 15.5
2003 SAS 24 24 16 8 .667 33.9 .403 .268 .713 2.8 3.5 .9 .1 2.0 14.7
2004 SAS 10 10 6 4 .600 38.6 .429 .395 .657 2.1 7.0 1.3 .1 3.1 18.4
2005 SAS 23 23 16 7 .696 37.3 .454 .188 .632 2.9 4.3 .7 .1 3.1 17.2
2006 SAS 13 13 7 6 .538 36.5 .460 .222 .810 3.6 3.8 1.0 .1 3.1 21.1
2007 SAS 20 20 16 4 .800 37.6 .480 .333 .679 3.4 5.8 1.1 .0 3.3 20.8
2008 SAS 17 17 9 8 .529 38.5 .497 .350 .753 3.7 6.1 .9 .1 2.9 22.4
2009 SAS 5 5 1 4 .200 36.2 .546 .214 .710 4.2 6.8 1.2 .2 4.2 28.6
2010 SAS 10 2 4 6 .400 33.5 .474 .667 .595 3.8 5.4 .6 .0 2.2 17.3
2011 SAS 6 6 2 4 .333 36.8 .462 .125 .756 2.7 5.2 1.3 .3 3.3 19.7
2012 SAS 14 14 10 4 .714 36.1 .453 .333 .807 3.6 6.8 .9 .0 3.1 20.1
2013 SAS 21 21 15 6 .714 36.4 .458 .355 .777 3.2 7.0 1.1 .1 2.5 20.6
2014 SAS 23 23 16 7 .696 31.3 .486 .371 .729 2.0 4.8 0.7 .0 2.7 17.4
2015 SAS 7 7 3 4 .429 30.0 .363 .000 .588 3.3 3.6 .3 .0 1.6 10.9
2016 SAS 10 10 6 4 .600 26.4 .449 .250 .857 2.2 5.3 .6 .2 1.8 10.4
2017 SAS 8 8 5 3 .625 26.4 .526 .579 1.00 2.5 3.1 .5 .0 1.5 15.9
2018 SAS 5 0 1 4 .200 13.4 .378 .000 .714 .8 1.2 .4 .0 .8 6.6
Career 226 213 137 89 .606 34.3 .461 .309 .731 2.9 5.1 .9 .1 2.6 17.9

受賞歴

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  • 2002年 オールルーキーファーストチーム
  • 2007年 NBAファイナルMVP
  • 2012~14年 オールNBAセカンドチーム
  • 2009年 オールNBAサードチーム

フランス代表

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フランス代表でのパーカー (2011年)

2000年のジュニア・ヨーロッパ選手権では優勝を果たした。以来フランスナショナルチームとして、2005年ヨーロッパ選手権で銅メダル、2011年ヨーロッパ選手権で銀メダル、2013年ヨーロッパ選手権では、ボリス・ディアウニコラス・バトゥムナンド・デ・コロらとともに金メダルを獲得し、この大会でMVPを獲得している[15]ユーロバスケット2013で、リトアニアを80対66で破り優勝し、MVPとなった[16][17]。2015年9月、ユーロバスケット史上、歴代1位となる1,032得点を記録した[18]

その他

[編集]
エヴァパーカー,2008年エミー賞にて

脚注

[編集]
  1. ^ INSEP web site
  2. ^ スパーズのパーカー、NBA史上最速の1000試合出場達成”. ヤフー・japan (2015年4月2日). 2015年4月2日閲覧。
  3. ^ トニー・パーカー、左足の四頭筋腱断裂で今季残り試合欠場”. NBA.com (2017年5月3日). 2017年5月5日閲覧。
  4. ^ Spurs' Tony Parker expected to return to action in January 2018
  5. ^ トニー・パーカーがGリーグチームでの練習を終えスパーズに合流 NBA.com JAPAN
  6. ^ Tony Parker on coming off the bench: Pop said it was time”. poundingtherock.com (2018-01/21). 2018年4月10日閲覧。
  7. ^ BOXSCORE 2018/04/22”. NBA.co.jp (2018年4月22日). 2018年4月23日閲覧。
  8. ^ Sources: Tony Parker agrees to join Hornets”. sports.yahoo.com (2018年7月6日). 2018年7月7日閲覧。
  9. ^ Tony Parker Agrees To Two-Year, $10M Deal With Hornets”. basketball.realgm.com (2018年7月6日). 2018年7月7日閲覧。
  10. ^ Spears, Marc J. (10 June 2019). “‘I can’t be Tony Parker anymore’”. The Undefeated. https://theundefeated.com/features/tony-parker-retire-from-nba/ 10 June 2019閲覧。 
  11. ^ Spurs to retire Parker's No. 9 jersey in November”. espn.com (2019年8月16日). 2019年8月16日閲覧。
  12. ^ Tony Parker”. basketball-reference.com (2016年). 2016年1月閲覧。
  13. ^ Tony Parker”. draftexpress.com (2001年). 2016年1月閲覧。
  14. ^ Tony Parker”. basketball-reference.com (2016年). 2016年1月閲覧。
  15. ^ Tony Parker MVP de l’Euro !
  16. ^ [1], basket-infos.com, Retrieved 23 September 2013
  17. ^ [2], basket-infos.com, Retrieved 23 September 2013
  18. ^ Tony Parker becomes the Eurobasket all-time leading scorer”. poundingtherock.com (2015年9月7日). 2015年9月3日閲覧。
  19. ^ 元NBA名選手トニー・パーカー氏が馬主でG1初制覇!マンゴスチンで制す/仏1000ギニー - 海外 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年5月16日閲覧。

外部リンク

[編集]