ウラジーミル・ダヴィドヴィチ (ヴィシゴロド公)
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ウラジーミル・ダヴィドヴィチ(ロシア語: Владимир Давыдович、1170年代頃 - 1187年8月11日以降)はスモレンスク公ダヴィドの子である。
ウラジーミルの名は、1187年に、ボリスとグレブの不朽体をヴィシゴロドからスモレンスクのボリス・グレブ修道院(ru)に移動させたことに関する記事においてのみ見られる。この年まで、ウラジーミルは、1184年に死亡した兄イジャスラフの跡を継いでヴィシゴロド公位に就いていたとも考えられる。なお、1187年には兄弟のムスチスラフがヴィシゴロド公として言及されている[1]。
出典
[編集]- ^ * 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(8) : 『キエフ年代記集成』(1181〜1195年)」『富山大学人文学部紀要』第68巻、富山大学人文学部、2018年2月、227頁、CRID 1390572174764448768、doi:10.15099/00018264、hdl:10110/00018264、ISSN 03865975。
参考文献
[編集]- Домбровский Д. Генеалогия Мстиславичей. Первые поколения (до начала XIV в.) / Пер. с польского и вступ. слово к рус. изд. К. Ю. Ерусалимского и О. А. Остапчук. — СПб.: ДМИТРИЙ БУЛАНИН, 2015. — 880 с. — С. 509—511.