ウラディーミル・シチェルバチョフ
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ウラディーミル・ウラディーミロヴィチ・シチェルバチョーフ | |
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基本情報 | |
生誕 | 1889年1月24日 |
出身地 | ロシア帝国、ワルシャワ |
死没 |
1952年3月5日(63歳没) ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、レニングラード |
学歴 | サンクトペテルブルク音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
ウラディーミル・ウラディーミロヴィチ・シチェルバチョーフ(ロシア語: Владимир Владимирович Щербачёв, ラテン文字転写: Vladimir Vladimirovich Shcherbachov, 1889年1月24日 ワルシャワ - 1952年3月5日 レニングラード)はソ連の作曲家・音楽教師。
経歴
[編集]1887年、ワルシャワ生まれ。1906~1910年、ペテルブルク大学の法律・歴史・言語学部で学んだ。その後、ペテルブルク音楽院において、1914年までマクシミリアン・シテインベルクの作曲クラスで学んだ。これと同じ時期にシチェルバチョーフはディアギレフの劇団でピアニストあるいはコンサートマスターをつとめていた。また、アナトーリ・リャードフ、ヤーセプス・ヴィートリス (Jazeps Vitols) にも師事。
1914~1917年、後方勤務部に動員された。1918~1920年、モスクワのペレドヴィジニー劇場の音楽部門管理者。1918~1923年、ソ連啓蒙人民委員部の音楽部門管理者。1918年から1923年まで、ソ連啓蒙人民委員部(НарКомПрос)の音楽部門を管理するかたわら大学講師を務める。レニングラード音楽院(1923年〜1930年、1946年〜1948年)とトビリシ音楽院の教授を歴任した。
門人に、ボリス・アラポフ、ワシーリー・ヴェリカノフ、エフゲニー・ムラヴィンスキー、ガヴリイル・ポポーフ、ミハイル・チュラキらがいる。
主要作品一覧
[編集]- 歌劇《アンナ・コロッソワ Anna Kolossova》 (1939年, 未完)
- オペレッタ《 Tabachny Kapitan》 (1943年)
- 交響曲
- (1914年)
- (独唱者と合唱つきの声楽交響曲。1925年)
- 「交響組曲」(1931年)
- 「 Ижорская」(独唱者と合唱つきの声楽交響曲。1935年)
- 「ロシア」(初稿 = 1948年 / 第2稿 = 1950年)
- 管弦楽組曲《雷雨》(1934年)、同《ピョートル大帝》 (1939年): 何れも同名の映画音楽に基づく
- 室内楽曲
- 7つの楽器と声楽、踊り手のための《九重奏曲》 (1919年): 代表作に数えられる作品
- 弦楽四重奏のための組曲 (1939年)
- ピアノ曲
- ピアノ・ソナタ(2曲)ほか
- 芸術歌曲(多数)
文献
[編集]- Don Randel, The Harvard Biographical Dictionary of Music. Harvard, 1996, p. 831.
- Genrich Orlov, Vladmir Vladimirovich Shcherbachov (Leningrad, 1959)
- Haas, David (1992). “Boris Asafyev and Soviet Symphonic Theory”. The Musical Quarterly Vol. 76 (No. 3): 410–432. doi:10.1093/mq/76.3.410.
脚注
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