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ウラルトゥ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウラルトゥ
Biainili[1]
ミタンニ 前860年 - 前585年 メディア王国
:en:Satrapy of Armenia
ウラルトゥの位置
前9世紀から前6世紀のウラルトゥの版図
公用語 ウラルトゥ語古アルメニア語
首都 アルザシュクン英語版
トゥシュパ英語版 (前832年以降)
国王
前858年 - 前844年 アラマ
前844年 - 前828年サルドゥリ1世
前828年 - 前810年イシュプイニ
前595年 - 前585年ルサ4世
変遷
建国 前860年
トゥシュパへ遷都前832年
滅亡前585年

ウラルトゥ (Urartu) は紀元前9世紀ごろから紀元前585年までアナトリアに存在した王国。その版図は、現在のトルコ東部のヴァン湖周辺を中心に、メソポタミア北部からコーカサス南部にわたった。

名称

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「ウラルトゥ」という呼称は、同時期に覇を競ったアッシリア人たちが呼んだ名である。王国は、ウラルトゥ語ビアインリ (Biainli)と呼ばれ、これは「ヴァン (Van)」の語源となった。また、「ウラルトゥ」の名はアララト山 (Ararat) とも関係づけられる。

また、「ハルディ (en)」と呼ばれる神を信仰していたことから、「ハルディア (Haldia)」とも称された[2]

歴史

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ウラルトゥ王国の最大版図(黄色)(紀元前743年頃)。緑色はアッシリア帝国の版図

前史

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紀元前1250年ごろのアッシリアの文書は、「ウルアトリ (Uruatri)」または「ナイリ (Nairi)」と呼ばれる民族とのゆるやかな同盟関係に言及している。現在知られているウラルトゥについての情報のほとんどは、アッシリアの文書から得られたものである。

黎明期

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その民族は、紀元前860年から紀元前830年のあいだに、王アラマルティプリの下で黎明期を迎え、王国を形成した。首都は、初期の頃にはアルザシュクン英語版に置かれていた。

拡大期

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その息子サルドゥリ1世の下で、紀元前832年頃に現在のヴァンのあたりに遷都しトゥシュパ英語版 (Tushpa) と呼ばれた。ウラルトゥ王国はメヌア(メヌアシュ)からサルドゥリ(サルドゥリシュ)2世の時代が最盛期[2]で、最盛期にはアルメニア高原の全域を含み、東は現在のタブリーズを越え、南はティグリス川、西はユーフラテス川の上流域にまで至った。

衰退期・滅亡

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紀元前714年には、ウラルトゥの王ルサ1世 (Rusa) がサルゴン2世率いるアッシリア軍に大敗して王は自殺に追い込まれた。この戦い以降、ウラルトゥ王国はアッシリアと幾度か戦った(ウラルトゥ・アッシリア戦争紀元前714年 - 紀元前585年)。ウラルトゥ王国は、キンメリア人やアッシリアの攻撃に苦しんだ。紀元前585年スキタイ人の攻撃によってウラルトゥ王国は滅んだ。アケメネス朝の成立後、この地にアルメニア人が定住した(アルメニア英語版紀元前553年 - 紀元前331年)。

発掘

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紀元後5世紀ごろ以降、ウラルトゥの存在は忘れ去られていたが、18世紀19世紀の発掘によって再発見された。

言語系統

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ウラルトゥ語は、フルリ・ウラルトゥ語族に分類される膠着語である。フルリ人が築いたミタンニ王国(紀元前1500年頃 - 紀元前1270年頃)で使用されたフルリ語と近縁関係にある。

歴代国王

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ケフ・カレシ出土の礎石(ルサ2世時代)。アナトリア文明博物館(アンカラ)蔵

黎明期

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拡大期

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衰退期

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脚注

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  1. ^ Paul Zimansky, "Urartian material culture as state assemblage", Bulletin of the American Association of Oriental Research 299 (1995), 105
  2. ^ a b 杉「ウラルトゥ王国」『アジア歴史事典 1』

参考文献

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  • Boris B. Piotrovsky, The Ancient Civilization of Urartu (translated from Russian by James Hogarth), New York:Cowles Book Company, 1969.
  • ボリス・ピオトロフスキー著, 加藤九祚訳, 「埋もれた古代王国の謎―幻の国ウラルトゥを探る」岩波書店, (1981年)
  • 杉勇「ウラルトゥ王国」(『アジア歴史事典 1』(平凡社、1984年))

 

関連項目

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