ウルリヒ・グラーフ
ウルリヒ・グラーフ(Ulrich Graf、1878年7月6日‐1950年3月3日)は、ドイツの政治家アドルフ・ヒトラーのボディーガードだった人物。草創期からの親衛隊の隊員であり、最終階級は親衛隊少将。
略歴
[編集]バッハハーゲル(de:Bachhagel)出身で、屑肉屋(Freibankmetzger)を生業としていた。基礎教育を受けた後で軍に入隊したが、1904年に負傷がもとで除隊した。その後、ミュンヘンで公務員を務めた。第一次世界大戦後にナチ党の前身ドイツ労働者党(DAP)に参加し、1921年にナチ党に入党(党員番号2,882)。アマチュアのレスラーだったため、1920年から1923年までアドルフ・ヒトラーのボディーガードを務め、後の親衛隊の前身となる「アドルフ・ヒトラー特攻隊」(Stoßtrupp-Hitler)のメンバーであった。1923年のミュンヘン一揆の際に警官隊から銃撃を受けた際にヒトラーの前に立ってかばい、代わりに銃弾を受けて激しく負傷した。ウルリヒは銃弾を受けながらも叫んだ。「撃つな。ヒトラー、ルーデンドルフ両閣下だ!!」。後にこの功績でヒトラーから血の勲章(1923年11月9日記念メダル)を授与された。
1924年12月にミュンヘン市の市議会議員に選出され、翌1925年1月に就任。同年には、再建されたナチ党へ再入党(新しい党員番は8)するとともに、新たに組織された親衛隊の草創期メンバーとなり(隊員番号26)、さらに党内仲裁委員会(Parteischiedsgericht)の責任者にもなった。1929年に市会議員として再選し、1935年には市参事に就任。1936年には国会議員となる。1943年に親衛隊少将に昇進。1948年に5年の労働刑判決を受けた。1950年にミュンヘンにおいて死去した。
参考文献
[編集]- ハインツ・ヘーネ著『SSの歴史 髑髏の結社』(フジ出版社)28ページ。ISBN 4-89226-050-9 (日本語)
- Charles Hamilton著『LEADERS & PERSONALITIES OF THE THIRD REICH VOLUME1』274ページ。ISBN 0912138270(英語)