ウーベ・バイン
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Uwe Bein | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1960年9月26日(64歳) | |||||
出身地 | ヘッセン州 | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1978-1984 | キッカーズ・オッフェンバッハ | 153 | (72) | |||
1984-1987 | 1.FCケルン | 64 | (17) | |||
1987-1989 | ハンブルガーSV | 52 | (22) | |||
1989-1994 | アイントラハト・フランクフルト | 150 | (38) | |||
1994-1996 | 浦和レッドダイヤモンズ | 68 | (25) | |||
1997-1998 | VfBギーセン | 22 | (12) | |||
通算 | 509 | (186) | ||||
代表歴 | ||||||
1989-1993 | ドイツ | 17 | (3) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ウーベ・バイン(Uwe Bein、1960年9月26日-)は、ドイツ・ヘッセン州出身の元サッカー選手。ポジションはMF(攻撃的MF)[1]。ドイツ語の発音では「ウーヴェ・バイン」に近い。
経歴
[編集]1980年代中盤から1990年代初頭のドイツを代表する攻撃的MFの一人。柔らかいボールタッチから相手DFの裏を付く鋭いスルーパスを繰り出す事が持ち味であった[2]。 1978年、下部リーグのキッカーズ・オッフェンバッハでプロデビューを飾り選手としてのキャリアをスタートさせるとドイツ・ブンデスリーガの1.FCケルン、ハンブルガーSV、アイントラハト・フランクフルト等の強豪クラブを渡り歩いた。ブンデスリーガでは300試合に出場、91ゴールを決めている[1]、またフランクフルト所属時の1990-91シーズンは15アシスト[3]、1991-92シーズンは16アシスト[4]、1992-93シーズンは17アシストと[5]、3シーズン連続ブンデスリーガ最多アシストを記録しただけでなく、キッカー誌の選ぶ年間ベストイレブンに4シーズン連続で選出された。この間、1990年のワールドカップ後にはACFフィオレンティーナからオファーを受けたが、移籍はしなかった[6]。
フランツ・ベッケンバウアーから移籍の話を持ちかけられ[6]、1994年からギド・ブッフバルトと共に日本の浦和レッドダイヤモンズへ移籍。Jリーグ初ゴール(この時2ゴールを決めている[7]。)は11月2日、セカンドステージ第17節の横浜フリューゲルス戦[8]、翌1995年は4月12日の横浜マリノス戦で2ゴールを決めるなど[9]、38試合に出場18ゴールを決めて[8]、浦和の上位進出に貢献した。特にエースストライカー福田正博とのコンビは絶妙で、彼がこのシーズンに得点王を獲得できたのは、バインの正確なキックから放たれたスルーパスによるところが大きかった[2]。1996年、既に退団が決まっていた中、リーグ最終節の横浜フリューゲルス戦に出場してゴールを決めた[10]。その後も天皇杯では4回戦のセレッソ大阪戦、準々決勝のベルマーレ平塚選でそれぞれ1ゴールを決めたが、準決勝でヴェルディ川崎に敗れて決勝進出を逃し、その試合を最後に帰国した。Jリーグのリーグ戦では通算68試合25ゴールの成績を残した[8]。
浦和を退団義は、ドイツ5部リーグでプレーした。
代表歴
[編集]1989年10月4日ワールドカップ・イタリア大会予選、フィンランド戦で代表デビューを果たし[11]、1990年のワールドカップ・イタリア大会に出場、4試合出場1得点(1次リーグ第2戦のUAE戦で得点)の活躍で、西ドイツの3度目の世界制覇に貢献した。その後、代表からは外れるが、所属するフランクフルトにおける好パフォーマンスもあって1993年に再び代表に招集された。しかし、監督のベルティ・フォクツの信頼を勝ち取ることは出来ず、1993年9月22日チュニジア戦を最後に代表を外れ[11]、1994年のワールドカップ・アメリカ大会のメンバーからは落選した。西ドイツ代表/ドイツ代表では17試合3得点の成績を残した[1]。
引退後
[編集]現役を退いた後は、2005年からはブンデスリーガ2部に昇格した古巣キッカーズ・オッフェンバッハのマネージャーとなっている。一方で、自らサッカースクールを創設してサッカー選手育成に尽力している。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1994 | 浦和 | - | J | 10 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 12 | 2 |
1995 | 38 | 18 | - | 3 | 2 | 41 | 20 | ||||
1996 | 20 | 5 | 7 | 1 | 4 | 2 | 31 | 8 | |||
通算 | 日本 | J | 68 | 25 | 9 | 1 | 8 | 4 | 84 | 30 | |
総通算 | 68 | 25 | 9 | 1 | 8 | 4 | 84 | 30 |
代表歴
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 17試合 3得点(1989年-1993年)[12]
ドイツ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1989 | 2 | 0 |
1990 | 10 | 3 |
1991 | 1 | 0 |
1992 | 1 | 0 |
1993 | 3 | 0 |
通算 | 17 | 3 |
タイトル
[編集]- ドイツ代表
- FIFAワールドカップ:1回(1990)
- 個人
脚注
[編集]- ^ a b c “Bein, Uwe” (German). kicker.de. 22 November 2019閲覧。
- ^ a b “福田正博(サッカー解説者)<後編>「いつか監督として再びピッチへ」 publisher=Sports communications”. 2019年11月22日閲覧。
- ^ “bundesliga 1990-91”. kicker.deleague. 9 April 2020閲覧。
- ^ “bundesliga 1991-92”. kicker.deleague. 9 April 2020閲覧。
- ^ “bundesliga 1992-93”. kicker.deleague. 9 April 2020閲覧。
- ^ a b “長谷部誠がIndeedでトークイベント、海外移籍のキッカケは「劇的に変えなきゃ」、ウーベ・バイン氏は浦和移籍の裏話「ベッケンバウアーに…」”. 2022年11月15日閲覧。
- ^ “94JリーグNICOSシリーズ 第17節第1日”. j-league 17 April 2020閲覧。
- ^ a b c “バイン”. Sj-league. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “’95Jリーグサントリーシリーズ 第8節第1日”. j-league 17 April 2020閲覧。
- ^ “1996 Jリーグ 第30節”. Jリーグデータサイト. 2024年3月26日閲覧。
- ^ a b “Uwe Bein”. rsssf.com. 9 April 2020閲覧。
- ^ ウーベ・バイン - National-Football-Teams.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ウーベ・バイン - National-Football-Teams.com
- ウーベ・バイン - Soccerway.com
- ウーベ・バイン - FootballDatabase.eu
- ウーベ・バイン - WorldFootball.net
- ウーベ・バイン - Transfermarkt.comによる選手データ
- ウーベ・バイン - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ウーベ・バイン - FIFA主催大会成績
- ウーベ・バイン - UEFA
- ウーベ・バイン - J.League Data Siteによる選手データ
- ウーベ・バイン - Fussballdaten.de
- サッカースクールの公式サイト
- キッカーズ・オッフェンバッハ公式サイト