ナウル航空
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設立 | 1970年2月14日 | |||
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ハブ空港 | ナウル国際空港 | |||
保有機材数 | 5機 | |||
就航地 | 9都市 | |||
本拠地 | ナウル | |||
代表者 | Geoffrey Bowmaker | |||
外部リンク | https://www.nauruair.com/ |
ナウル航空(Nauru Airlines)は、ナウルの航空会社。1970年~2006年まではエア・ナウル(Air Nauru、ナウル航空とも)と、2006年~2014年7月31日はアワー航空(Our Airline)[1]と称していた。
概要
[編集]前身
[編集]前身のエアナウルは1970年に設立され、ナウル島の中心地、ヤレン地区にあるナウル国際空港をベースに、ボーイング727やボーイング737-200、フォッカー F28などでオーストラリアやニュージーランドなどの近隣諸国や日本(鹿児島空港と那覇空港)、グアムやホノルルなどの太平洋地域を中心に就航していた。機体の整備等は外国に委託していた。
しかし、ナウルの主要産業であったリンの採掘が枯渇したために、1990年代に国家財政が破綻した。その後も運航を続けていたが、2000年代に入り経営状況が逼迫し、2005年12月にオーストラリアのメルボルンで債権者によってボーイング737-400を差し押さえられた。
社名変更
[編集]しかしナウルが国交を結んでいる主要な援助国である台湾政府の援助によりボーイング737-300型機を新たに購入。2006年9月より運航を再開し、同時に社名をアワー航空に変更した。
2014年8月1日には、社名が現在のナウル航空に再び変更された[1]。また、これ以降ボーイング737-300の追加導入を進めるとともに、貨物専用機も導入した。
現在
[編集]現在はオーストラリアのカンタス航空とのコードシェア運航や、キリバス航空からウェットリースの運航も委託するなどネットワークを拡大している。
就航先
[編集]エア·ナウル時代、1972年~1988年にフォッカー F28、ボーイング727-100、ボーイング737-200で鹿児島空港、那覇空港にも乗り入れていた。日本から撤退した理由はパイロット不足によるもの。東京にあったエア·ナウル東京支店の家賃を滞納していたとも言われる。
運航機材
[編集]- ボーイング737-300 2機
- ボーイング737-300F 1機
- ボーイング737-700 1機
- ボーイング787-800 1機
- ボーイング737-800SF 1機
脚注
[編集]- ^ a b Zabeena (2014年7月15日). “Nauru's airline rebrands as Nauru Airlines”. Fiji One News. 2016年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月6日閲覧。
外部リンク
[編集]- Nauru Airlines
- Nauru Airlines (@nauruairlines) - X(旧Twitter)
- Nauru Airlines (@nauruairlines) - Instagram