エイサ・サーストン
エイサ・サーストン(英語: Asa Thurston、1787年10月12日 - 1868年3月11日)と妻のルーシー・グッデイル・サーストン(英語: Lucy Goodale Thurston)は、アメリカ合衆国からハイラム・ビンガムらと共にハワイ王国へ行き、初めてキリスト教を伝えた宣教師である。
エイサ・サーストン
[編集]エイサ・サーストンはマサチューセッツ州フィッチバーグ生まれで、両親はトマス・サーストンとリディア(Lydia (Davis) and Thomas Thurston)であった。22歳までは鎌など農具作りの職人であったが、1816年にイェール大学を卒業して、1819年にアメリカ会衆派のアンドーヴァー神学校を出ている。
1820年にルーシー・グッデイルと結婚して、神学校同窓のハイラム・ビンガムなどと共に会衆派教会から選ばれて、アメリカン・ボードの宣教師としてハワイ王国へ渡った。ビンガムはハワイではじめてのキリスト教教会である「モクアイカウア教会」をハワイ島カイルア・コナに建て、後にオアフ島ホノルルに「カワイアハオ教会」を建てた。
サーストン夫妻は数年間故郷のニューイングランドとカリフォルニアへ旅行した以外は、ハワイに留まり、ハワイでキリスト教化に尽くした。
サーストンはハワイ島をくまなく回った。ハワイ火山国立公園にあるサーストン溶岩洞(Thurston Lava Tube)は彼の名前からきている。
晩年病気になってホノルルで亡くなった。
ハワイ語訳聖書
[編集]サーストンはビンガムや他の協力者たちと『キリスト教聖書』全書(新約聖書・旧約聖書)をハワイ語へ翻訳した[1]。四福音書が1828年に翻訳され、残りの新約聖書は1832年、旧約聖書は1839年に翻訳された。1868年には改訂されている。最近の研究では、翻訳の原稿はサーストンが全体の25%、ビンガムが20%(全体の作業まとめも行った)、その後ホノルルへ宣教師として来たアーテマス・ビショップ(Artemas Bishop)が14%(最初の改訂も)、残りは数人で行ったといわれる[2]。
ルーシー・グッデイル・サーストン
[編集]ルーシー・グッデイルはマサチューセッツ州マールボロに、父は教会執事を務めたアブナー・グッデイル(Abnor Goodale)である。ブラッドフォード・アカデミー(Bradford Academy)を卒業して、学校教師を勤めた。エイサ・サーストンと結婚して、ハワイ王国へ赴き、彼を助け、ハワイ先住民の教育などにも尽くして、そこで亡くなっている。
子孫
[編集]サーストン夫妻の子孫はハワイとアメリカで様々に活躍した。曾孫のローリン・サーストン(Lorrin A. Thurston、1857年 – 1931年)は1893年のハワイ王朝転覆(Overthrow of the Kingdom of Hawaii)に加担している。