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エウロヒオ・マルティネス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エウロヒオ・マルティネス
アトレティコ・マドリードでのマルティネス (1965年)
名前
本名 エウロヒオ・ラミーロ・マルティネス
Eulogio Ramiro Martínez
愛称 Abrelatas (缶切り)
ラテン文字 Eulogio Martínez
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
パラグアイの旗 パラグアイ
生年月日 (1935-06-11) 1935年6月11日
出身地 アスンシオン
没年月日 (1984-09-30) 1984年9月30日(49歳没)
身長 174cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW (CF)
ユース
パラグアイの旗 アトランティダSC
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1953-1956 パラグアイの旗 リベルタ
1956-1962 スペインの旗 バルセロナ 111 (62)
1962-1964 スペインの旗 エルチェ 39 (7)
1964-1965 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 2 (0)
1965-1966 スペインの旗 エウロパ 10 (3)
通算 164 (71)
代表歴
1954-1955 パラグアイの旗 パラグアイ 9 (4)
1958 スペインの旗 スペイン B 1 (0)
1959-1962 スペインの旗 スペイン 8 (6)
1956 カタルーニャ州の旗 カタルーニャ 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エウロヒオ・ラミーロ・マルティネスEulogio Ramiro Martínez1935年6月11日 - 1984年9月30日)は、パラグアイアスンシオン出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW。元パラグアイ代表、元スペイン代表

経歴

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1956年、23歳のときにパラグアイクルブ・リベルタからFCバルセロナに移籍し、在籍6シーズンで公式戦225試合に出場して168得点を記録した[1]。また、1957年のヨーロピアン・カップ準決勝のレアル・マドリードとのエル・クラシコでは、途中出場から15分でハットトリックを達成し、クラブの決勝進出に貢献した[2]。バルセロナでは、相手の守備陣を切り裂いて得点を奪う姿から、サポーターが親しみを込めて「Abrelatas」 (缶切り)と呼んでいた[3]

バルセロナ退団後は、エルチェCFアトレティコ・マドリードに短期間在籍したが、目立った功績は残せなかった。

パラグアイ代表として9試合に出場した後の1959年、スペイン代表に帰化し、1962 FIFAワールドカップに出場した。

関連項目

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脚注

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  1. ^ El Barça busca un 9” (スペイン語). Mundo Deportivo (2018年11月21日). 2022年7月26日閲覧。
  2. ^ Lewandowski emuló al azulgrana Eulogio Martínez 56 años después” (スペイン語). Sport (2013年4月25日). 2022年7月26日閲覧。
  3. ^ A 25 años de la partida de Eulogio Martínez” (スペイン語). abc (2009年12月9日). 2022年7月26日閲覧。

外部リンク

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