エズラ・ラクリン
エズラ・ラクリン(Ezra Rachlin, 1915年12月5日 - 1995年1月21日)は、アメリカの指揮者、ピアノ奏者[1][2][3][4]。
ハリウッドの生まれ。幼少期からピアノに興味を持ち、5歳でピアノ・リサイタルを開くまでに上達した。その後しばらくベルリンに行って勉学の傍らで演奏会を開き、12歳の時に帰国している。帰国後はレオポルド・ゴドフスキーとヨゼフ・レヴィーンの下で研鑽を積み、13歳のときにはゴドフスキーの紹介でカーティス音楽院のヨゼフ・ホフマンのクラスに編入した。また、指揮法をフリッツ・ライナーに学んだ。1937年にはセルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を携えてヨーロッパへの演奏旅行を行い、帰国後には母校カーティス音楽院の最年少の講師となった。また、フランクリン・ルーズベルト大統領夫妻の招きでホワイト・ハウスでも演奏を行っている。一方で、ジョージ・セルの勧めでフィラデルフィア・オペラ・カンパニーを指揮して指揮活動も行うようになり、1946年から1949年までラウリッツ・メルヒオール専属の指揮者兼伴奏者として彼のヨーロッパ演奏旅行に帯同した。1949年から1969年までテキサス州のオースティン交響楽団の音楽監督を務め、1965年から1971年までフォートワース交響楽団の音楽監督も兼任した。また、レオポルド・ストコフスキーがヒューストン交響楽団の首席指揮者を務めていた頃には、同オーケストラの首席客演指揮者として登場し、同オーケストラの夏のコンサート・シリーズの音楽監督を任された。1970年から1972年までオーストラリアのクイーンズランド交響楽団の首席指揮者を務めた後、イギリスに活動の拠点を移し、イギリス各地の主要オーケストラに客演を重ねた。
ロンドンにて死去した。