エチェル
エチェル | |||
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座標 : 北緯47度26分40秒 東経19度19分34秒 / 北緯47.44444度 東経19.32611度 | |||
行政 | |||
国 | ハンガリー | ||
県 | ペシュト県 | ||
村 | エチェル | ||
地理 | |||
面積 | |||
村域 | 13.1 km2 | ||
人口 | |||
人口 | (2007現在) | ||
村域 | 3471人 | ||
人口密度 | 248.05人/km2 | ||
その他 | |||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||
夏時間 | CEST (UTC+2) | ||
公式ウェブサイト : http://www.ecser.hu/ |
エチェル(Ecser [ˈɛtʃɛr]、スロバキア語: Ečer)は、ハンガリーのペシュト県にある人口約3500人の村。首都ブダペスト近郊にあり、首都圏 (Budapest metropolitan area) に含まれる。
この村の名は、フォークダンス「エチェル村の結婚式」(Wedding at Ecser)で知られている。
地理
[編集]エチェルは、ブダペスト中心部から東南へ約20km離れており、フェレンツ・リスト国際空港の傍らにある。村の近くには、高速道路 M0 が走っている。また、ブダペストから Újszász を経由してソルノクまでを結ぶ鉄道路線 120a が通っており、駅がある。ブダペスト市域に接し、また隣接してマグロード、ヴェチーシュ、ギョムロー、ユローの諸町村がある。
歴史
[編集]記録の上で、エチェルの名を最初に確認できるのは、1315年12月15日である。
伝説によれば9世紀末、マジャル人の王アールパードがここで小休止をとった際に村の名を訊ねたが、住人たちは答えられなかった。このためアールパードはオーク(ハンガリー語: cser)にちなんで名をつけ、これが「エチェル」になったという。
オスマン帝国統治下の時代(1526年 - 1686年)、とくにブダ付近で戦いのあと、村は消滅していた。住民が戻ってきたのは1699年のことである。ラーコーツィの独立戦争(1703年 - 1711年)には村から11人の兵士が加わっている。
1700年代の初め、村の領主である アンタル・グラシャルコヴィチュ (Antal Grassalkovich) 伯爵は、スロバキア人を受け入れた。現在もこの町には、スロバキア人マイノリティの住民がいる。
みどころ
[編集]村はまた、世界的に有名なフォークダンス「エチェル村の結婚式」 (ハンガリー語: Ecseri lakodalmas)で知られている。
教会、フォークダンス、地名伝承にあるオークは村の象徴であり、村の紋章にも、教会、フォークダンスをする人々、3本のオークの木が描かれている。
姉妹都市
[編集]エチェルは次の都市と姉妹都市協定を結んでいる。
ギャラリー
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エチェルのカトリック教会
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村の入り口の看板は、ハンガリー語とスロバキア語で書かれている
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スロバキア系住民の礼拝堂
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第二次世界大戦のモニュメント
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メインストリート Széchenyi utca
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古い家の中庭
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新しい市街地Kálvária Hill
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オスマン帝国とハンガリーの戦争で破壊された、中世の教会の遺跡