エディ・タウンゼント
エディ・タウンゼント(Eddie Townsend、1914年10月4日 - 1988年2月1日)は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身のボクシングトレーナー。本名:エドワード・タウンゼント。
多くの世界チャンピオンを育て上げ「名トレーナー」「名伯楽」として尊敬された。
経歴
弁護士であるアメリカ人の父と山口県出身の日本人の母の子としてハワイで生まれる。母は自身が三歳の時に病死したと伝えられる。14歳からボクシングを始め12勝無敗のハードパンチャーとして活躍していたが、大日本帝国海軍による真珠湾攻撃の前日(現地時間1941年12月6日)に初めて敗北を喫した。
日本人の血を引いている事もあり、それまでもてはやしていた仲間達は次々と去り孤独の身となったエディは、ボクサーに見切りをつけトレーナーとして次の世代を担う人材育成を志すようになった。
たまたまハワイ巡業に来ていた力道山に招請されて1962年に来日。当時の力道山は、自ら創設した「リキジム」からボクシングの世界チャンピオンを誕生させようと計画しており、そのトレーナーとしての手腕を期待されての来日だった。
しかし、力道山が暴漢に刺されて1963年12月15日にこの世を去った為にこの計画は頓挫し、エディは再び孤独の身となってしまう。偶然だが力道山が刺されたのは、真珠湾攻撃が行われた日と同じ日だった。(日本時間12月8日)
そんなエディの処へ、ハワイ時代から旧知の仲だった日系三世のポール・タケシ・藤井(リングネーム:藤猛)が偶然訪れ、トレーナーとして1967年に世界チャンピオンへと導いたことで注目される存在となる。
以降、六人の世界チャンピオンと赤井英和・カシアス内藤らの名ボクサーを育て上げた実績のみならず、人間性や指導方法も高く評価され「名トレーナー」として日本のボクシング関係者・ボクシングファンから尊敬される様になった。
高齢となったエディが、一から育て上げ最後の弟子と言われた井岡弘樹は、とりわけ愛情を注いだボクサーの一人である。井岡のことを「ボーイ」(Boy)と呼び、ジムの二階で寝食を共にして実の息子のように可愛がった。ただし、この二人三脚の生活はかつて何人かの弟子に裏切られたエディが思春期の少年に半ば禁欲生活を強制したとする向きもある。
1987年10月18日に行われたWBC世界ミニマム級王座決定戦で、井岡を世界チャンピオンへと導いたが、この頃は既にエディの体は「直腸がん」の病魔に蝕まれており車椅子で生活しながら指導するようになる。1988年1月31日の初防衛戦では、どうしても井岡の試合を見守りたいと切望し、入院中の病院からベッドに横わった状態で試合会場入りしたが、試合開始直前に意識不明の危篤状態に陥り田中外科(現渡辺外科病院)へと引き返した。井岡が挑戦者を12回TKOで退けた知らせを病院で聞くと、右手でVサインをかかげた後に静かに息を引き取ったといわれている。
その劇的な人生は「EDDIE」の名で演劇化され、各地の学校などで上演されている。
評価
- エディ・タウンゼントは日本のボクシング界で高く評価されており、その功績をたたえて1990年に国内で最も活躍したプロボクシングのトレーナーに贈られる「エディ・タウンゼント賞」が創設された。
- その指導方法を尊敬する証しとして「エディ・タウンゼントジム」が大阪市浪速区に創設された。
- 度々訪れ、お気に入りの地だったと言われる和歌山県白良浜にエディ・タウンゼントの記念碑が建立された。※外部リンク エディ・タウンゼント氏記念碑除幕式
- 輝かしい実績とは対照的に、金銭面では決して恵まれていたとは言い難い。特定のボクシングジムに所属せずに、特定のボクサー個人を指導してきたためジムとは臨時雇いの関係であり、ジムからジムへ渡り歩く姿を自ら「ジプシートレーナー」と称していた。
エピソード
- 勝てる可能性がないと判断すると、タオルを投入するのは誰よりも早かったと言われている。「ボクシング辞めたアトの人生の方が長いのヨ。誰がそのボクサーの面倒ヲ見てくれるの?無事に家に帰シテあげるのもワタシの仕事ネ」「勝った時には友達おおぜいイッパイ出来るからワタシいなくてもいいの。誰が負けたボクサー励ますの?ワタシ負けたボクサーの味方ネ」と言い、勝ったボクサーの祝賀会には一切参加せず、負けた選手にはずっと付いて励ました。
- リキジムに初めて来た時、先輩達が竹刀で選手を叩いて指導している光景を見て「リングの上で叩かれて、ジムに帰って来てまた叩かれるのですか?ワタシはハートのラブで選手を育てるネ」と力道山に進言して譲らず、エディの指導方法を認めさせた。
- ガッツ石松が劣勢に追い込まれた時、「この試合判定ならアナタの負けネ。でもケンカならアナタ強い。アナタ負けない。この試合ケンカ、今から行ってブッ飛ばして来るの」とハッパをかけ、乱打戦に持ち込み逆転KOで勝利をもたらした。
- オフコースの1984年のシングル「緑の日々」のプロモーションビデオに出演している。このビデオは映画「天国から来たチャンピオン」を下敷きとしており、エディは「人生をやり直すために」この世に戻ってきたボクサーを復活させるトレーナーを演じた。もちろん、ボクシング指導もエディ。