エドワード・ジョーンズ (統計学者)
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エドワード・ディヴィス・ジョーンズ | |
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生誕 |
1856年10月7日 アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ウースター |
死没 |
1920年2月16日(63歳没) アメリカ合衆国・ニューヨーク州ニューヨーク市 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 統計学者、ジャーナリスト |
配偶者 | ジャネット・C・コンクリング・ジョーンズ[1] |
エドワード・ディヴィス・ジョーンズ(Edward Davis Jones、1856年10月7日 - 1920年2月16日[2])は、アメリカ合衆国の統計学者、ジャーナリスト[3]。ダウ・ジョーンズ工業株価平均の「ジョーンズ」は彼の名に由来し、また彼は『ウォール・ストリート・ジャーナル』の共同創刊者としても知られる。
生い立ち
[編集]ジョーンズは1856年10月7日にマサチューセッツ州ウースターで生まれた。両親のジョン・ジョーンズ師[† 1]とクラリッサ・ジョーンズ(旧姓・ディ)はウェールズ系の出身である[4]。ウースター・アカデミーを卒業したのち、ブラウン大学に進学したが、3年次に退学した[5][6]。次いでプロヴィデンス・モーニング・スターとイヴニング・プレスで取材記者として働き、そこでチャールズ・ダウと出会った。
ダウ・ジョーンズ
[編集]→詳細は「ダウ・ジョーンズ」を参照
ダウ・ジョーンズ工業株価平均および『ウォール・ストリート・ジャーナル』で知られるダウ・ジョーンズ社は、ジョーンズとダウが1882年に設立した[7]。当時の事務所はニューヨーク証券取引所の地階にあり[8][9]、チャールズ・バーグストレッサーがサイレント・パートナー[† 2]となっていた。
ジョーンズとダウはロードアイランド州プロビデンスで同僚記者として知り合っていたのだった[10]。
家族
[編集]ジョーンズと妻のジャネットには、一人息子のアーサー・コンクリング・ジョーンズ(1884年 - 1941年)がいた[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “Edward Davis Jones”. Find a Grave. 2022年9月8日閲覧。
- ^ “Brown Alumni Monthly, Vol. XX, March 1920”. 2014年2月10日閲覧。
- ^ “Rhode Island Heritage Hall of Fame”. 2020年3月16日閲覧。
- ^ Conley, Patrick T. (2019). The Leaders of Rhode Island's Golden Age. Charleston, SC: The History Press. pp. 81. OCLC 1119106956
- ^ Aaron Donovan (March 31, 2002). “Kindness Repaid, 80 Years Later”. The New York Times
- ^ Rosenberg, Jerry Martin (1982) (英語). Inside the Wall Street Journal: The History and the Power of Dow Jones & Company and America's Most Influential Newspaper. Macmillan. ISBN 978-0-02-604860-6
- ^ Jennifer Oldham (1999年3月30日). “A History of the Dow”. Los Angeles Times
- ^ Alex S. Jones (1984年1月20日). “Dow Jones insures family control”. The New York Times
- ^ Julius Westheimer (1997年3月21日). “With blue chips for 101 years, Dow Jones is key market index”. Los Angeles Times
- ^ “Rhode Island Heritage Hall of Fame”. 2020年3月16日閲覧。