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エドワード・トマス・ウィリアムズ (外交官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エドワード・トマス・ウィリアムズ(Edward Thomas Williams, 1854年10月17日 - 1944年1月27日)は、アメリカ合衆国外交官

生涯

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オハイオ州コロンバスにて誕生[1]。コロンバスの公立学校で学び、1872年に高校卒業[1]ウェストバージニア州ベサニー大学で学び[1]、1875年に学士号取得、1893年に修士号取得、1915年に博士号取得[2]

1887年に中国に渡航、プロテスタント宣教師として9年滞在[2]。江南製造局にて通訳として勤務[2]。 1896年11月25日に上海総領事館翻訳官に任命[1]。1897年10月27日から1898年11月1日まで上海総副領事[1]。1901年2月23日から北京公使館書記官[1]。1908年3月10日から天津総領事[1]。1909年8月31日から国務省極東局長補佐[1]。1911年7月6日から1913年9月11日まで北京公使館書記官[1]。1913年12月31日から1918年まで国務省極東局長[1][3]。1918年、国務省を退職[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j United States. Dept. of State (1918). Register of the Department of State. December 17, 1917. pp. p.149. https://archive.org/download/registercontaini1917unit/registercontaini1917unit.pdf 
  2. ^ a b c d Edward Thomas Williams, Oriential Languages and Literature: Berkeley”. University of California. 2011年7月3日閲覧。
  3. ^ United States. Dept. of State (1919). Register of the Department of State. December 23, 1918. pp. p.176. https://archive.org/download/registercontaini1918unit/registercontaini1918unit.pdf 
公職
先代
ランスフォード・スティーヴンズ・ミラー
アメリカ合衆国国務省極東部長
1913年 - 1918年
次代
ランスフォード・スティーヴンズ・ミラー