エドワード・ピッカリング
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エドワード・ピッカリング Edward Pickering | |
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生誕 |
1846年6月19日 アメリカ合衆国,ボストン |
死没 |
1919年2月3日 アメリカ合衆国,ケンブリッジ (マサチューセッツ州) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
研究分野 | 天文学 |
出身校 | ハーバード大学 |
主な業績 | 恒星の分類、分光連星の発見 |
主な受賞歴 | 王立天文学会ゴールドメダル(1886, 1901) |
プロジェクト:人物伝 |
エドワード・ピッカリング (Edward Charles Pickering 、1846年6月19日 - 1919年2月3日)は、アメリカ合衆国の天文学者である[1]。天文学者・ウィリアム・ヘンリー・ピッカリングの兄である。
略歴
[編集]ボストンで生まれた[2]。ボストン・ラテン・スクールで学んだ後、科学に転じ、ハーバード大学で学んだ。マサチューセッツ工科大学で物理学を教えた後[3]、1877年から1919年に逝去するまでハーバード大学天文台の台長を務めた。分光装置のついた望遠鏡を使って天体を撮影することによって、複数の恒星のスペクトルを同時に撮影する技術を開発し、多くの天体のデータを集めて多くの重要な発見を行なった[4]。計算手や写真データの解析要員として女性を多く雇用し、それらの女性の中にはアニー・ジャンプ・キャノン、ヘンリエッタ・リービット、アントニア・モーリ、ウィリアミーナ・フレミングといった、後に天文学上の業績を挙げることになる女性も多く含まれていた[5]。
ウィリアミーナ・フレミング、アニー・ジャンプ・キャノンとともにハーバード分類と呼ばれる恒星のスペクトル分類法を開発した。ヘルマン・カール・フォーゲルとともに、ピッカリングは最初の分光連星を発見した。1907年王立協会の外国人会員に選出された。
賞歴
[編集]- イギリス王立天文学会ゴールドメダル(1886年と1901年)
- ヘンリー・ドレーパー・メダル (1888年)
- ブルース・メダル(1908年)
- ジュール・ジャンサン賞(1908年)
エポニム
[編集]ピッカリング兄弟を記念して次のようなものが命名された
- 小惑星(784) Pickeringia [6]
- 月のクレーター
- 火星のクレーター
参考文献
[編集]- ^ “PICKERING, Edward Charles”. The International Who's Who in the World: 856. (1912) .
- ^ Biographical Index of Former Fellows of the Royal Society of Edinburgh 1783–2002. The Royal Society of Edinburgh. (July 2006). ISBN 0-902-198-84-X
- ^ Daintith, John. (1999) A Dictionary of Scientists. Oxford: Oxford University Press.
- ^ Bunch, Bryan H. and Hellemans, Alexander (2004) The History of Science and Technology: A Browser's Guide to the Great Discoveries, Inventions, and the People Who Made Them, from the Dawn of Time to Today. Boston: Houghton Mifflin.
- ^ The 19th century women who catalogued the cosmos, Michelle Starr, Cnet News, March 7, 2016
- ^ “(784) Pickeringia = 1914UM”. MPC. 2021年8月13日閲覧。