エドワード・ホッジス・ベイリー
エドワード・ホッジス・ベイリー Edward Hodges Baily | |
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生誕 |
1788年3月10日 イングランド、ブリストル |
死没 |
1867年5月22日 イングランド、Holloway, London |
エドワード・ホッジス・ベイリー(Edward Hodges Baily RA FRS、1788年3月10日 – 1867年5月22日)はイギリスの彫刻家である[1]。
略歴
[編集]ブリストルで生まれた。父親は船舶の船首像を得意とする木彫家であったが、ベイリーに商業を学ばせた。ベイリーは学校でクラスメートの肖像を蝋細工で作り、芸術的な嗜好と才能を見せた。14歳で商店で働き始め、2年間働いた後.[2] 、16歳で仕事を止め、彫刻家になる道を選んだ。友人の肖像をもとに、蝋型を作り、ロンドンの彫刻家のジョン・フラクスマンに送ると、フラクスマンは高い評価を与え、ベイリーがロンドンに移り、弟子になることを許した。ベイリーは1807年にロンドンに移り、1809年にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの美術学校に入学した[3]。
1811年にアカデミーの金メダルを受賞し、その後も作品を制作した。1815年からロンドンの宝飾店(Rundell and Bridge)のデザイナーとして雇われ、彫刻家のウィリアム・シード(William Theed the elder: 1764–1817)と働いた[4]。1817年にロイヤル・アカデミーの準会員に選ばれ、1821年に正会員になった。1821年にはハイドパークのマーブル・アーチの南側のレリーフの責任者を務めた。多くの有力者の肖像彫刻を制作し、トラファルガー広場のネルソン記念柱頂上のネルソン提督像も制作した[3]。
1842年に王立協会のフェローに選ばれた。1857年にロイヤル・アカデミーから風景画家に授与するターナー・ゴールド・メダルのデザインをしたのを最後にアカデミーから引退した。
ベイリーの助手を務めた彫刻家には、マスグレーブ・ワトソン(Musgrave Watson: 1804–1847)やジョセフ・ダーハム(Joseph Durham ARA: 1814–1877)がいる。
作品
[編集]-
第3代エグレモント伯爵
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Eve at the Fountain
ブリストル市立博物館・美術館蔵 -
母性愛
参考文献
[編集]- ^ Radford, Ernest (1885). Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 2. London: Smith, Elder & Co. p. 427. . In
- ^ Rupert Gunnis|Gunnis, Rupert; Dictionary of British Sculptors 1660–1851, The Abbey Library p. 32
- ^ a b この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Baily, Edward Hodges". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 3 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 221.
- ^ Baily, Edward Hodges RA, in: A Biographical Dictionary of Sculptors in Britain, 1660-1851, Henry Moore Foundation
関連文献
[編集]- Jordan, Caroline (June 2006), ""The very spirit of purity and chastity": Eve at the Fountain by Edward Hodges Baily", Sculpture Journal, 15 (1): 19–35, doi:10.3828/sj.15.1.2