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エドワード・ラッセルズ (初代ハーウッド伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ホプナーによる肖像画、1795年ごろ。

初代ハーウッド伯爵エドワード・ラッセルズEdward Lascelles, 1st Earl of Harewood1740年1月7日1820年4月3日)は、イギリスの政治家、貴族。庶民院議員を務めた。従兄にあたる初代ハーウッド男爵エドウィン・ラッセルズ英語版の相続人として広大な領地を有し、政府への支持もあり叙爵申請を認められた[1]

1799年時点のグレートブリテン王国における百万長者(100万ポンド以上の財産を所有する人物)の1人であり、290万ポンド(2023年時点の3.6億ポンドと同等[2])を所有した[3]

生涯

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ジョシュア・レノルズによる肖像画、1762年から1764年ごろ。

エドワード・ラッセルズ(Edward Lascelles、1702年2月25日洗礼 – 1747年10月31日、ダニエル・ラッセルズ英語版の三男)と妻フランシス(1761年5月18日没、ガイ・ボールの娘)の次男として[4]、1740年1月7日にバルバドスで生まれた[5]。兄ヘンリーは1755年に17歳で亡くなった[4]。父はバルバドスで関税徴税人を務めたが、エドワードが7歳のときに死去した[4]

1761年イギリス総選挙ノーザラートン選挙区英語版から出馬して、無投票で庶民院議員に当選した[6]。ノーザラートンではラッセルズ家とピアース家(Peirse)が自治邑土地保有態様英語版のほとんどを保有しており、選挙区を支配していたため、両家がそれぞれ1議席を指名していた[6]。このときはピアース家の当主が未成年だったため、2議席目もラッセルズ家が占有し、エドワードが当選した[6]1768年イギリス総選挙でも無投票で再選したが、1774年イギリス総選挙ではピアース家が2議席目を取り戻し、エドワードは議員を退任した[6]。1度目の議員期では従兄(父の異母兄の息子)にあたるエドウィン・ラッセルズ英語版(同じくノーザラートン選出の庶民院議員)と常に同じ立場をとり、庶民院で演説した記録はなかった[7]

1790年イギリス総選挙ではエドウィンがハーウッド男爵に叙されたため[7]、代わりにエドワードが出馬して当選した[8]。2度目の議員期では1791年にスコットランドにおける審査法廃止に反対、1796年3月に奴隷貿易廃止に反対した[1]

エドウィンに子女がおらず[4]、爵位が1代で廃絶することは明らかだったため、エドワードは1794年8月に首相小ピットに対しハーウッド男爵への叙爵を申請した[1]。1795年にエドウィンが死去すると、男爵位は廃絶したものの、遺産はエドワードが相続した[5]。そして、叙爵への内諾を得たエドワードは1796年イギリス総選挙で出馬せずに議員を退任[1]、以降ノーザラートンにおけるラッセルズ家の議席は息子エドワードヘンリー英語版が占めた[8]。1796年6月18日、グレートブリテン貴族であるヨーク州ハーウッドにおけるハーウッド男爵に叙された[5]

男爵に叙された後は伯爵への昇叙を目指し、1798年5月と6月に小ピットに対し2度申請したものの、拒否されている[1]。1804年に第2次小ピット内閣が成立するとハーウッド男爵は再び伯爵への昇叙を申請、最終的にはリヴァプール伯爵内閣期に認められた[1]。1812年9月7日、連合王国貴族であるラッセルズ子爵およびヨーク州におけるハーウッド伯爵に叙された[5]

1820年4月3日に死去、同名の長男エドワードに先立たれたため次男ヘンリー英語版が爵位を継承した[5]

家族

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ハーウッド夫人アンと娘フランシス、ジョシュア・レノルズ画。

1761年5月12日、アン・シャロナー(Anne Charloner、1805年2月23日没、ウィリアム・シャロナーの娘)と結婚[5]、2男2女をもうけた[9]

出典

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  1. ^ a b c d e f Stokes, Winifred (1986). "LASCELLES, Edward (1740-1820), of Stapleton, nr. Pontefract, Yorks.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2025年1月9日閲覧
  2. ^ イギリスのインフレ率の出典はClark, Gregory (2024). "The Annual RPI and Average Earnings for Britain, 1209 to Present (New Series)". MeasuringWorth (英語). 2024年5月31日閲覧
  3. ^ Beckett, Andy (29 September 1999). "Who wants to be a millionaire?". The Guardian (英語). 2025年1月9日閲覧
  4. ^ a b c d Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 1177.
  5. ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas, eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint) (英語). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 311.
  6. ^ a b c d Brooke, John (1964). "Northallerton". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2025年1月9日閲覧
  7. ^ a b Brooke, John (1964). "LASCELLES, Edward (1740-1820), of Stapleton, nr. Pontefract, Yorks.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2025年1月9日閲覧
  8. ^ a b Stokes, Winifred; Thorne, R. G. (1986). "Northallerton". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2025年1月9日閲覧
  9. ^ a b c Lodge, Edmund, ed. (1840). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (9th ed.). London: Saunders and Otley. p. 256.
  10. ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 1721.

外部リンク

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グレートブリテン議会英語版
先代
ダニエル・ラッセルズ英語版
エドウィン・ラッセルズ英語版
庶民院議員(ノーザラートン選挙区英語版選出)
1761年1774年
同職:ダニエル・ラッセルズ英語版
次代
ダニエル・ラッセルズ英語版
ヘンリー・ピアース英語版
先代
ヘンリー・ピアース英語版
エドウィン・ラッセルズ英語版
庶民院議員(ノーザラートン選挙区英語版選出)
1790年1796年
同職:ヘンリー・ピアース英語版
次代
ヘンリー・ピアース英語版
エドワード・ラッセルズ閣下
イギリスの爵位
爵位創設 ハーウッド伯爵
1812年 – 1820年
次代
ヘンリー・ラッセルズ英語版
グレートブリテンの爵位
爵位創設 ハーウッド男爵
1796年 – 1820年
次代
ヘンリー・ラッセルズ英語版