エマニュエル・テオドーズ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ (ブイヨン公)
エマニュエル・テオドーズ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ Emmanuel-Théodose de La Tour d'Auvergne | |
---|---|
ブイヨン公 | |
アルブレ公を称していた頃のエマニュエル・テオドーズの銅版画、アントワーヌ・トルーヴァン制作、1684年頃 | |
在位 | 1721年 - 1730年 |
出生 |
1668年 |
死去 |
1730年4月17日[1] |
配偶者 | マリー=アルマンド・ド・ラ・トレモイユ |
ルイーズ=フランソワーズ=アンジェリーク・ル・テリエ | |
アンヌ=マリー=クリスティーヌ・ド・シミアヌ | |
ルイーズ=アンリエット=フランソワーズ・ド・ロレーヌ | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家 |
父親 | ブイヨン公ゴドフロワ・モーリス |
母親 | マリー・アンヌ・マンシーニ |
エマニュエル・テオドーズ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(Emmanuel-Théodose de La Tour d'Auvergne, duc de Bouillon, 1668年 - 1730年4月17日[1])は、ブルボン朝時代フランスの貴族・廷臣。ブイヨン公爵。1715年から1728年までの13年間、幼王ルイ15世にフランス王室侍従長として近侍した[2]。
生涯
[編集]王室侍従長を務めたブイヨン公ゴドフロワ・モーリスとその妻マリー・アンヌ・マンシーニの間の第3子・次男[3][2]。宮廷ではアルブレ公と称していたが、兄のテュレンヌ公ルイ・シャルルが大同盟戦争従軍中の1692年に戦死したため、ブイヨン公家の家督相続者としてテュレンヌ公となる。1721年父の死で家督を相続した。
子女
[編集]生涯に4度結婚した。1696年2月1日、又従兄のトゥアール公シャルル=ベルジーク=オランドの娘マリー=アルマンド・ド・ラ・トレモイユ(1677年 - 1717年)と最初の結婚をし、彼女との間に7人の子をもうけた。
- アルマンド(1697年 - 1717年) - 1716年エピノワ公ルイ2世・ド・ムランと結婚
- マリー・マドレーヌ(1698年 - 1699年)
- 息子(1699年)
- ゴドフロワ・モーリス(1701年 - 1705年) - テュレンヌ公
- フレデリック・モーリス・カジミール(1702年 - 1723年) - テュレンヌ公
- マリー・オルタンス・ヴィクトワール(1704年 - 1741年) - 1725年トゥアール公シャルル=アルマン=ルネと結婚
- シャルル・ゴドフロワ(1706年 - 1771年) - ブイヨン公[1]
1718年1月4日、軍事大臣を務めたバルブジュー侯爵ルイ=フランソワ=マリー・ル・テリエの娘ルイーズ=フランソワーズ=アンジェリーク・ル・テリエ(1689年 - 1719年)と2度目の結婚をし、間に息子を1人もうけた。
- ゴドフロワ・ジロール(1719年 - 1732年) - シャトー=ティエリ公
1720年5月26日、モンシャ伯爵フランソワ・ド・シミアヌの娘アンヌ=マリー=クリスティーヌ・ド・シミアヌ(1683年 - 1722年)と3度目の結婚をし、間に娘を1人もうけた。
- アンヌ=マリー=ルイーズ(1722年 - 1739年) - 1734年スービーズ公シャルル・ド・ロアンと結婚
1725年3月21日、アルクール伯アンヌ=マリー=ジョゼフの娘ルイーズ=アンリエット=フランソワーズ・ド・ロレーヌ(1707年 - 1737年)と4度目の結婚をし、間に娘を1人もうけた。
- マリー=ソフィー=シャルロット(1729年 - 1763年) - 1745年シャルル=ジュスト・ド・ボーヴォー=クラン公と結婚
引用・脚注
[編集]- ^ a b c van de Pas, Leo. “Emmanuel Théodose de La Tour d'Auvergne”. Genealogics .org. 2010年3月29日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b Emmanuel Theodose, Duc de Bouillon, d'Albret, de Chateau-Thierry, Grand Chamberlain of France, etc,,Genealogy.euweb.de La Tour3.
- ^ Paul Theroff. “La Tour d’Auvergne”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2020年1月4日閲覧。