エマニュエル・ラボリ
エマニュエル・ラボリ Emmanuelle Laborit | |
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生年月日 | 1971年10月18日(53歳) |
出生地 | パリ |
国籍 | フランス |
エマニュエル・ラボリ(Emmanuelle Laborit、1971年10月18日 - )は、フランスの女優。
プロフィール
[編集]パリに生まれる。生まれながらの聾唖者。父親は精神科医。フランスでは、1870-1976年まで手話の使用は法律で禁じられており、学校教育では1991年まで手話による教育が禁じられていたため、口話のトレーニングのみを受けて育つ。
1976年、アメリカ人で映画監督で俳優でもあるアルフレッド・コラドという、自身も聾唖者である人が、ヴァンセンヌに聾唖者のための劇場、IVT(国際視覚劇場)を創設。彼が、アメリカのギャローデット大学で学んだことが、フランスでも注目を浴び、1978年父親が彼女をヴァンセンヌに連れて行き、手話の訓練が受けられるようにしてくれる。ワシントンのギャローデット大学にも1ヵ月留学。
しかし、フランスの学校では、手話は拒絶され、学校は普通校には行けず、口話教育のモルヴァン養護学校に学ぶ。22歳でバカロレアに合格し、俳優、監督でもあるジャン・ダルリックに見出され、アメリカ映画『愛は静けさの中に』の原作になったマーク・メドフの戯曲『小さな神の子ら』を舞台化した作品『沈黙の子どもたち』でサラを演じて、1993年フランスの演劇人に与えられるモリエール賞の新人賞を、聾唖者として初めて受賞。ジャン・ダルリックと結婚している。自伝に『かもめの叫び』(青山出版社 1995年、現在は角川文庫に収録)がある。この本はフランスでベストセラーになり、1993年、ヴェリテ賞を受賞した。
彼女の祖父、アンリ・ラボリは、もとフランス海軍の外科医でその後、生物学の研究に転じた。著作多数。精神疾患の一つ統合失調症(旧・精神分裂病)の治療薬「クロルプロマジン」の提言をした。これが精神科薬物療法の時代が幕を開ける事となる[1]。アラン・レネ監督の『アメリカの伯父さん』は、祖父の著書『ラ・ヌーヴェル・グリーュ』を下敷きにしたもの。
出演作品
[編集]- ビヨンド・サイレンス(1996年) - ドイツ映画
- 11'09'01/セプテンバー11(イレブン)(2002年) - フランス映画
脚注
[編集]- ^ 精神医学の歴史 小俣和一郎 第三文明社 2005年 ISBN 9784476012521 p196