エミール・ワールブルク
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エミール・ワールブルク | |
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エミール・ワールブルク(1846年-1931年) | |
生誕 |
1846年3月9日 ホルシュタイン公国 アルトナ |
死没 |
1931年7月28日 (85歳没) ドイツ国 バイエルン自由州 バイロイト |
研究分野 | 物理学 |
研究機関 |
ベルリン大学 ストラスブール大学 フライブルク大学 |
出身校 | ベルリン大学 |
博士課程 指導教員 | ハインリヒ・グスタフ・マグヌス |
博士課程 指導学生 |
ジェイムス・フランク ロベルト・ポール ユリウス・エドガー・リリエンフェルト Gustav Heinrich Angenheister エトヴァルト・グリューンアイゼン 飯盛挺造[1] |
他の指導学生 | ハンス・フォン・オイラー=ケルピン |
補足 | |
プロジェクト:人物伝 |
エミール・ガブリエル・ワールブルク(Emil Gabriel Warburg、1846年3月9日 - 1931年7月28日[2])は、ドイツの物理学者である。
人物
[編集]ホルシュタイン公国アルトナに生まれた。ハイデルベルク大学で化学を学んだ。その後ベルリン大学でオーガスト・クント(August Adolf Eduard Eberhard Kundt)のもとで音響学をまなび1867年博士号を得た[1]。普仏戦争の結果1872年にストラスブール大学がドイツの大学として再建されると、クントとともにストラトブール大学で気体運動の分野で業績をあげた。1876年にフライブルク大学に移り電磁現象の研究を行い磁気ヒステリスの研究を行った。1894年にクントが没するとベルリン大学の教授の職を継ぎ、1897年からベルリン物理学会の会長になり1899年から改組されたドイツ物理学会の会長を務めた。
研究した分野は、気体の運動理論、電気伝導度、気体放電、放射、強磁性体、発光分析に及んでいる。1881年に、後に断熱消磁による冷却法につながる純鉄の、消磁による冷却現象を発見している。
ワールブルクの功績から、エミール・ワールブルク財団が設けられ物理学の業績を表彰している。1998年からポーランドとドイツの物理学会が共同でポーランドとドイツの物理学者を隔年で表彰するスモルコフスキー・ワールブルク賞(Marian Smoluchowski - Emil Warburg Physics Prize)が設けられた。
ノーベル生理学・医学賞を受賞したオットー・ワールブルクの父親である[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 岩田重雄「微量天びんの先駆者、飯盛挺造」『計量史研究』Vol.21, No.1, pp.25 - 36, 1980
- ^ Emil Warburg Deutsche Digitale Bibliothek