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エリエル・サーリネン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事はエーロ・サーリネンと同姓でやはり建築家だった人物について述べています。
エリエル・サーリネン
肖像(1900年代前半)
生誕 ゴットリーブ・エリエル・サーリネン
1873年8月20日
フィンランド大公国の旗 フィンランド大公国 ランタサルミ英語版(旧ロシア帝国領)
死没 (1950-07-01) 1950年7月1日(76歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミシガン州 ブルームフィールドヒルズ
国籍  フィンランド
出身校 ヘルシンキ工科大学
職業 建築家
配偶者 Loja Saarinen
子供
受賞
建築物
プロジェクト
  • フィンランド館、1900年パリ万博
デザイン
  • トリビューン・タワーの設計案(英語)(1922年)
  • フィンランドのマラッカ紙幣(1922年)

ゴットリーブ・エリエル・サーリネン: Gottlieb Eliel Saarinen [ˈsɑːrɪnən], フィンランド語: [ˈelie̯l ˈsɑːrinen]; 1873年8月20日 - 1950年7月1日)は、フィンランド南東部の旧ロシア帝国領の町・ランタサルミ(英語)生まれの建築家都市計画家20世紀初頭、フィンランドにアール・ヌーヴォー様式の建築を多く建てた人物。後にアメリカ合衆国に移り、アールデコの時代の超高層ビルデザインに大きな影響を与えたほか、美術デザインの教育に力を入れた。アメリカの建築家エーロ・サーリネンは息子[1][2]

ヘルシンキ中央駅(1910年-1914年)

生涯

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サーリネンは1873年8月20日にフィンランド大公国ランタサルミに聖職者の父Juho Saarinenと母Selma Bromsの間に生を受ける[3]。森と平野に恵まれた郷里から、やがて旧ロシア帝国領のインケリ地方に移り住む。科学語学の勉強が得意で、10代で美術に関心を持つようになると、学校の長期休暇にサンクトペテルブルクエルミタージュ美術館に行くことを楽しみにしていた[3]タンペレ: Tammerfors)にあった美学校に進学したサーリネンは水彩画風景画を描き、やがてデザインを学んで後にヘルシンキ工科大学(ロシア帝国ヘルシンキ)で建築を学ぶ[3]

学友のヘルマン・ゲゼリウス (英語)アルマス・リンドグレン (英語)と大学在学中に事務所 Gesellius, Lindgren, Saarinen を作り共同生活を始めた。最初の大きな作品は、1900年パリ万博のフィンランド・パヴィリオンであり、フィンランドの木造建築、イギリスのゴシック・リヴァイヴァル建築、ドイツのユーゲント・シュティールなどさまざまな様式からの影響をひとつに纏め(まとめ)上げた作風であった。初期の建築スタイルは後世の評価により、19世紀末期、「カレワラ」や欧州各地に広がった民族主義を背景にフィンランドで燃え上っていた国民的ロマン主義の建築分野における展開と認められている。国民的ロマン主義はヘルシンキ中央駅1904年設計、1910年1914年建設)で頂点に達したが、このコンペ入賞をきっかけにロマン主義の同志であったゲゼリウスやリンドグレンらとの共同活動に終止符を打ち、独立することとなった。サーリネンは他にもフィンラン国立博物館(1912年)を手がけたほか、フィンランドの郵便切手数種(1917年[4])や1922年に発行されたマルッカ紙幣もデザインしている。

ヘルシンキのムンキニエミ・ハーガ住宅地開発計画の模型(1915年)。市街地全域を再開発する計画は費用の問題などから、結局、実現されなかった。
ムンキニエミ・ハーガ住宅地開発計画図(1915年)。広い中庭を囲む高層住宅群(赤紫の線)を組み込み、自動車交通の増加を見込んだ道路網を配した。
サーリネンの住宅地開発計画(1915年)のスケールを示すため、簡略化した計画図に2008年時点の道路網(赤線)を重ねた。

都市計画分野でも活躍し、1911年にはハンガリー首都ブダペストの都市計画顧問をつとめ、1912年にはオーストラリア連邦のキャンベラ新首都計画のコンペウォルター・バーリー・グリフィンに続く次点に入選、エストニアタリンの再開発都市計画コンペでは見事1等に輝いた。フィンランド国内ではヘルシンキ中央駅周辺整備計画(1910年–)と、同市に含まれる市街地ムンキニエミから郊外のハーガまで視野に入れた住宅地開発計画(Munksnäs-Haga=現ヘルシンキ第30区)を担当し、後者は1915年に860 haの広大な住宅地の#構想を著して上梓する。1917年に祖国フィンランドが独立、首都ヘルシンキの都市計画顧問を受諾すると、1918年には大ヘルシンキ計画チ-レンハラディ・プランを発表した[5][6][7][8]

1922年シカゴ・トリビューン社の本社屋、トリビューン・タワー英語版の国際建築設計競技が行われ、サーリネンは次点であった。水平の線を廃して上へと伸びる垂直線を強調し、上層部になるほどセットバックして細くなる設計案[9] は1位になれず実現しなかったものの、屋上を押さえつけるようにコーニスを配したそれまでの箱型の高層ビルとは異なる、ゴシック的で上昇感の強いデザインはアメリカの建築界に衝撃を与え、以後、国内各地にサーリネンのデザインを模し、上に向かって細くなる設計の超高層ビルが氾濫した。中でもヒューストンに1929年に完成したガルフビル (英語)は忠実になぞった例である。

アメリカへ渡る

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トリビューン・タワー設計を機に翌1923年、家族を伴ってアメリカに移住し、ミシガン州を拠点に設計・教育活動を続けた。在米2年目にはミシガン大学の招聘教授の座を受託する[1]

クランブルック教育コミュニティ (1940年代)

1925年、ミシガン州の大手地方紙社主で芸術愛好家でもあったジョージ・ゴフ・ブース(George Gough Booth)は、かねて構想していたアメリカ版バウハウスとなるべき学校群のキャンパスの設計をサーリネンに依頼した。そのクランブルック教育コミュニティCranbrook Educational Community)を手がけたサーリネンは同所に美術アカデミーが開学すると教職を得て、1932年には校長に任じられた。同学からチャールズ・イームズレイ・イームズ(当時はカイザー姓)などの優れたデザイナーや芸術家が生まれた。サーリネンはのちにイームズ夫妻と仕事で組んでおり、家具デザインに大きな影響を与えた[1]。クランブルックではサーリネンの妻も織物や染色を教え、スカンジナビア・デザインの染織工房を構えてサーリネンの建築物の内装に参加する[10]

ミシガン大学アナーバー校舎)の建築学部教授にもなっており、教え子のひとりエドモンド・N・ベーコンは、1949年から1970年にかけてフィラデルフィア都市計画総合プロデューサーを委嘱され、高い評価を得ている。渡米後まもない時期に招聘を受けて来学して以来、長年にわたるその貢献を記念し、今日、同学のタウブマン建築・都市計画学部は客員教授プログラムにサーリネンの名を冠している。

息子のエーロ・サーリネン1910年1961年)は20世紀半ば(ミッド・センチュリー)のアメリカを代表する建築家となり、父子共作もある[1][2]

建築作品

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シカゴのトリビューン・タワー設計案(1922年、実現せず)

主な著作

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フィンランドの切手。サーリネン肖像(1973年[11]
  • ムンキニエミ・ハーガ住宅地開発計画
    • Saarinen, Eliel (1915) Munksnäa, Haga och Stor Helsingfors stadsplans . ヘルシンキ、Aktiebolaget Lilius & Hertzberg. (フィンランド語) 電子書籍
    • Mills, Edward David (1969) Views of architecture in the United States. SCUS1021-SCUS1036. 視覚資料 : Transparency.
    • Saarinen, Eliel ; フィンランド国立博物館. Munksnas-Haga (Helsinki, Finland): Overall view of town plan. (英語) Saskia, 2007-01-02. 視覚資料 : スライド、全景.
    • Saarinen, Eliel ; フィンランド国立博物館. Munksnas-Haga (Helsinki, Finland): Left side detail. (英語), Saskia 2007-01-02. 視覚資料 : スライド、左.
    • Saarinen, Eliel ; フィンランド国立博物館. Munksnas-Haga (Helsinki, Finland): Right side detail. (英語) Saskia, 2007-01-02. 視覚資料 : スライド、右.
  • Saarinen, Eliel (1943) The City : its growth, its decay, its future. Reinhold Pub. NCID BA10734707.
  • Saarinen, Eliel (1948) Search for form : a fundamental approach to art. Reinhold. NCID BA22872220.
  • Saarinen, Eliel ; 東京都総務局文書課調査係(編)『分散都市』都市問題調査資料 / 東京都総務局文書課調査係〈都市の集中と分散 ; 第2部〉、謄写版、1951年。NCID BA3151048X
  • Saarinen, Eliel ; Museum of Cranbrook Academy of Art (1951) Eliel Saarinen : memorial exhibition. Museum of Cranbrook Academy of Art. NCID BA78123942. 回顧展の展示図録。
  • Saarinen, Eliel ; Cranbrook institutions. Public Relations Office and Cranbrook Academy of Art (1963) The Saarinen door : Eliel Saarinen, architect and designer at Cranbrook. Cranbrook Academy of Art. NCID BB04263705.
  • Saarinen, Eliel ; Komonen, Markku ; Friman, Kimmo ; Suomen Rakennustaiteen Museo ; Suomen Taideteollisuusyhdistys (1984) Saarinen Suomessa : Gesellius, Lindgren, Saarinen 1896-1907 : Saarinen 1907-1923 : Näyttely, 15.8-14.10.1984, Suomen rakennustaiteen museo, Helsinki (フィンランド語). [Saarinen in Finland : Gesellius, Lindgren, Saarinen 1896-1907 : Saarinen 1907-1923 : Exhibition, 15.8-14.10.1984, Museum of Finnish Architecture, Helsinki]. Das Museum. ISBN 951922937X, NCID BA00446477. 旧フィンランド芸術工芸協会(現・デザインフォーラムフィンランド)主催の「Saarinen 1907-1923」の展覧会図録。会期は1984年8月15日-同年10月14日、会場はフィンランド建築博物館英語版(ヘルシンキ)。
    • 改版改題。Saarinen, Eliel ; Hausen, Marika ; O'Rourke, Desmond ; Wynne-Ellis, Michael ; English Centre (1990) Eliel Saarinen : projects, 1896-1923. (英語) MIT Press (1st MIT Press ed.). ISBN 0262081946, NCID BA12394621.

受賞と学位

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脚注

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  1. ^ a b c d e Saarinen, Eliel (1873 - 1950)”. Kansallisbiografia (14 August 2015). 24 June 2020閲覧。
  2. ^ a b Eliel Saarinen”. Museum of Finnish Architecture. 24 June 2020閲覧。
  3. ^ a b c Lupton, Kennie (2000-02) (英語). Saarinen, Eliel (1873-1950), architect. 1. Oxford University Press. doi:10.1093/anb/9780198606697.article.1700769. http://www.anb.org/view/10.1093/anb/9780198606697.001.0001/anb-9780198606697-e-1700769 
  4. ^ 1917 - 18 Saarisen malli ilman vesileimaa” [1917-18年 透かしのないサーリネンのモデル:1856年以降のフィンランドとオーランドの切手類] (フィンランド語). www.datafun.fi. Suomen ja Ahvenanmaan postimerkit vuodesta 1856. 2021年7月5日閲覧。
  5. ^ Jung, Bertel; Saarinen, Eliel (1918) (フィンランド語). "Suur-Helsingin" asemakaavan ehdotus laatineet Eliel Saarinen .... Helsingissä: Osakeyhtiö Lilius & Hertzberg. OCLC 1087485103. http://catalog.hathitrust.org/api/volumes/oclc/48197177.html 
  6. ^ Saarinen, Eliel (1918) (英語). Greater Helsinki Plan. Art, Architecture and Engineering Library. OCLC 1136786500. http://name.umdl.umich.edu/IC-UMMU-X-04-02183%5D04_02183 
  7. ^ Greater Helsinki Plan (詳細図)” (英語). Art, Architecture and Engineering Library. ミシガン大学. 2021年7月6日閲覧。
  8. ^ Greater Helsinki Plan (全体図)” (英語). Art, Architecture and Engineering Library. ミシガン大学. 2021年7月6日閲覧。
  9. ^ コロンビア大学建築学部、サーリネンによるトリビューン・タワー設計案(英語)[リンク切れ]
  10. ^ Clark, Robert Judson (執筆); Belloli, Andrea P. A (編纂); Belloli, Jay (監修) (1983) (English). Design in America, the Cranbrook vision 1925-1950. Adele Westbrook ; Anne Yarowsky (編集) ; Dirk Bakker (写真). New York: Harry N. Abrams. ISBN 978-0-8109-0801-7. OCLC 57771544. https://www.worldcat.org/title/design-in-america-the-cranbrook-vision-1925-1950/oclc/57771544&referer=brief_results 
  11. ^ “[http://www.datafun.fi/postimerkki/ Eliel Saarisen syntym舖t� 100 v.]” [エリエル・サーリネン生誕100周年記念:1856年以降のフィンランドとオーランドの切手類] (フィンランド語). www.datafun.fi. Suomen ja Ahvenanmaan postimerkit vuodesta 1856. 2021年7月5日閲覧。

関連項目

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関連資料

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  • Korab, Balthazar ; Balthazar Korab Studios, Ltd. (1944-2011 , bulk 1970-2000) ''Balthazar Korab collection''. OCLC 1198999220、建築写真と関連資料全54万1673点。フィルム原板、図、紙焼き写真、スケッチ、作画の模写、スライド、ネガなど。
  • 渡部千春「 The Beginning of Modernism(エリック・グンナー・アスプルンド;エリエル・サーリネン;カーレ・クリント ほか)」『家具と建築』プチグラパブリッシング〈北欧デザイン 1〉、2003年。ISBN 4939102491NCID BA64416104
  • Ford, Edward R. 「§2 エリエル・サーリネン—デトロイト時代:1926‐1940」八木幸二(訳)『巨匠たちのディテール』第1巻、丸善、普及版、2005年。ISBN 4621075888NCID BA71848335。原題はThe details of modern architecture

外部リンク

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