エリコ県
エリコ県 محافظة أريحا/Muḥāfaẓat Arīḥā נפת יריחו/Nafat Yeriħo | |
---|---|
位置 | |
パレスチナ国内におけるエリコ県の位置。 | |
行政 | |
自治政府 | パレスチナ |
地区 | ヨルダン川西岸地区 |
中心都市 | エリコ |
地理 | |
面積 | |
総面積 | 593 km2 |
人口動態 (2017年現在) | |
人口 | 50,002 人 |
人口密度 | 85.7 人/km2 |
その他 | |
等時帯 | 世界標準時 (UTC+2) |
夏時間 | 夏時間 (UTC+3) |
ISOコード | PS-JRH |
エリコ県(エリコけん、アラビア語: محافظة أريحا Muḥāfaẓat Arīḥā; ヘブライ語: נפת יריחו, Nafat Yeriħo)、ないし、英語読みに準じたジェリコ県(英語: Jericho Governorate)は、合わせて16県設定されているパレスチナ国の行政区画としての県のひとつ。ヨルダン川西岸地区の東部、死海北岸からヨルダン川の河谷の南部にかけて、ヨルダンとの国境に臨んでいる。この県の西側には、ラマッラーから東方に位置する山々や、イエルサレムから東側の斜面があり、ユダヤ砂漠の北部も含まれている。1997年時点におけるエリコ県の推計人口は、31,501人で、そのうちおよそ 6,000人が県が設けた難民キャンプにいるパレスチナ難民とされていた[1]。2017年時点の人口は、50,002人とされている[2]。
この地域では、経済活動の中でも農業が重要であり、県都エリコ近傍の村落では特にその傾向が強い。エリコ県の農地は、およそ4,000haあり、ほぼすべてが灌漑されている[3]。エリコはしばしば、存続している集落としては世界最古の集落と考えられており、その数多くの歴史的、考古学的史跡は多数の観光客を当地へと招じ入れている。
エリコ地域のオアシスであるエリシア公園 (Elishia's Park)、別名エイン・エル=スルターン (Ein el-Sultan) には、果樹園、ヤシ林、バナナのプランテーション、その他の植物の植栽がある[4]。
イスラエルによる実効支配
[編集]ヨルダン川西岸地区はパレスチナ国の領土であるが、ほとんどの地域を長らくイスラエルが占領しており、エリコ県もイスラエルが実効支配を続けている[5]。
日本の国際協力
[編集]日本は、2006年の小泉純一郎首相の中東歴訪時以降、パレスチナ国支援の重点施策としての「平和と繁栄の回廊」構想の一環としてエリコ県南部への「農産業団地」の建設に関与して[6]、ジェリコ農産加工団地 (Jericho Agro-Industrial Park, JAIP) 事業への支援をおこなっており、2010年代後半には安倍晋三首相や河野太郎外相もJAIPを訪れた[5]。
また、母子手帳の普及事業[7]や、学校建設事業[8]なども取り組まれている。
行政区画
[編集]都市
[編集]町
[編集]村
[編集]難民キャンプ
[編集]脚注
[編集]- ^ The Administrative Divisions of Governorates (Jericho) - ウェイバックマシン(2007年12月27日アーカイブ分)
- ^ “Population in Jericho Governorate, 2017”. Palestinian Investment Promotion Agency. 2020年11月20日閲覧。
- ^ 佐藤久泰、尾形佳彦「パレスチナ自治区の農業事情」(PDF)『育種・作物学会北海道談話会会報』第48号、2007年、93頁。
- ^ Laureates 1999 - ウェイバックマシン(2006年11月15日アーカイブ分)
- ^ a b “III.パレスチナ自治区における調査” (PDF). 参議院. 2020年11月20日閲覧。
- ^ 『外交青書2008』(PDF)外務省、90-91頁 。2020年11月20日閲覧。
- ^ “パレスチナに母子手帳 不測の事態の「命のパスポート」 JICA協力で配布”. 朝日新聞・夕刊: p. 12. (2008年1月7日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “コミュニティ開発無償「ヨルダン川西岸地区学校建設計画」”. 国際協力機構. 2020年11月20日閲覧。
座標: 北緯32度01分29.72秒 東経35度26分43.73秒 / 北緯32.0249222度 東経35.4454806度