エリザベス・ルーソン=ゴア (サザーランド公爵夫人)
エリザベス・ルーソン=ゴア Elizabeth Leveson-Gower | |
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第19代サザーランド女伯 | |
称号 | サザーランド公爵夫人 |
出生 |
1765年5月24日 |
死去 |
1839年1月29日(73歳没) |
配偶者 | 初代サザーランド公ジョージ・ルーソン=ゴア |
子女 |
ジョージ・グランヴィル シャーロット・ソフィア エリザベス・メアリー フランシス |
家名 | ゴードン家 |
父親 | 第18代サザーランド伯爵ウィリアム・ゴードン |
母親 | メアリー・マクスウェル |
サザーランド公爵夫人・第19代サザーランド女伯爵エリザベス・サザーランド=ルーソン=ゴア(英語: Elizabeth Sutherland Leveson-Gower, Duchess of Sutherland, 19th Countess of Sutherland、1765年5月24日 - 1839年1月29日)は、イギリスの貴族。
経歴
[編集]1765年5月24日、スコットランド貴族の第18代サザーランド伯爵ウィリアム・ゴードンとその妻メアリー(旧姓マクスウェル)の次女として生まれた。姉にキャサリンがあったが、この姉は早世した[1]。
1766年6月16日に父が死去したが、父には男子がなかったため、彼女が父の保有爵位のうち女系継承が可能だった第19代サザーランド伯爵位と伯爵家の所領を継承した。この相続をめぐっては争いがあったものの、1771年の貴族院の決定で彼女が継承者に決まった。1785年9月にスタッフォード侯爵家の嫡男であるトレンタム子爵(儀礼称号)ジョージ・ルーソン=ゴア(後の第2代スタッフォード侯爵・初代サザーランド公爵)と結婚した[2]。
1790年に夫が駐フランス大使に任じられ、そのため数年をフランス革命直後のフランスで過ごすことになった。フランス滞在中フランス王妃マリー・アントワネットと親交を結んだ[3]。
サザーランド公爵家が所有する100万エーカーに近いスコットランド高地帯の所領の開発を熱心に推進した [4]。 開発に反対する地元小作人について彼女は息子に宛てた手紙の中で「動物以下の存在」と見下している。対仏戦争でサザーランド公爵家は第93連隊の編成を担当したが、応召を無視している小作人が多いことへの不満もあったようである[5]。
家族
[編集]夫の初代サザーランド公爵ジョージ・ルーソン=ゴアとの間に以下の4子を儲ける[2]。
- 第1子(長男)ジョージ・グランヴィル・サザーランド=ルーソン=ゴア(1786年 - 1861年) - 第2代サザーランド公爵位、第20代サザーランド伯爵位を継承
- 第2子(長女)シャーロット・ソフィア・ルーソン=ゴア(1788年 - 1870年) - 第13代ノーフォーク公爵ヘンリー・ハワードと結婚
- 第3子(次女)エリザベス・メアリー・ルーソン=ゴア(1797年 - 1891年) - 第2代ウェストミンスター公爵リチャード・グローヴナーと結婚
- 第4子(次男)フランシス・エジャートン(1800年 - 1857年) - トーリー党政権の閣僚。エレズミーア伯爵に叙される。
出典
[編集]- ^ Lundy, Darryl. “William Gordon, 18th Earl of Sutherland” (英語). thepeerage.com. 2015年8月18日閲覧。
- ^ a b c Lundy, Darryl. “Elizabeth Gordon, Countess of Sutherland” (英語). thepeerage.com. 2015年8月18日閲覧。
- ^ 水谷三公 1987, p. 26.
- ^ “,ケルト的土地保有”. 2021年6月13日閲覧。
- ^ 水谷三公 1987, p. 27.
参考文献
[編集]- 水谷三公『英国貴族と近代 持続する統治1640-1880』東京大学出版会、1987年。ISBN 978-4130300636。
スコットランドの爵位 | ||
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先代 ウィリアム・ゴードン |
第19サザーランド女伯爵 1766年 – 1839年 |
次代 ジョージ・サザーランド=ルーソン=ゴア |