エリーザベト・アマーリア・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
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エリーザベト・アマーリア・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット Elisabeth Amalia von Hessen-Darmstadt | |
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プファルツ選帝侯妃 | |
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在位 | 1685年 - 1690年 |
出生 |
1635年3月20日 神聖ローマ帝国、ギーセン |
死去 |
1709年8月4日(74歳没) 神聖ローマ帝国、ノイブルク・アン・デア・ドナウ |
埋葬 | 神聖ローマ帝国、ノイブルク・アン・デア・ドナウ |
配偶者 | プファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルム |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヘッセン=ダルムシュタット家 |
父親 | ヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク2世 |
母親 | ゾフィー・エレオノーレ・フォン・ザクセン |
宗教 | キリスト教ルター派 → カトリック |
エリーザベト・アマーリア・マグダレーネ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(Elisabeth Amalia Magdalene von Hessen-Darmstadt, 1635年3月20日 - 1709年8月4日)は、プファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルムの2番目の妃。
生涯
[編集]ヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク2世とその妻でザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世の娘であるゾフィー・エレオノーレの間に生まれた。エリーザベト・アマーリアは母親によって厳格なルター派教育を受けた。エリーザベト・アマーリアは明るい金髪を持つ美しい女性で、この金髪は何人かの娘達にも受け継がれた。
1653年9月3日、エリーザベト・アマーリアはランゲンシュヴァルバッハ(現在のバート・シュヴァルバッハ)において、20歳年上のプファルツ=ノイブルク公フィリップ・ヴィルヘルムと結婚した。フィリップ・ヴィルヘルムは1685年にプファルツ選帝侯となる。1653年11月1日、エリーザベトはケルン大司教マクシミリアン・ハインリヒ・フォン・バイエルンの立ち会いのもと、夫の宗旨であるローマ・カトリックに改宗した。
エリーザベトとフィリップ・ヴィルヘルムの37年にわたる結婚生活は非常に幸福なものだったと言われ、選帝侯夫妻は間に17人の子女をもうけた。夫妻は結婚当初はデュッセルドルフで暮らし、同市に教会や修道院を建設した。後に夫妻はノイブルク・アン・デア・ドナウに移り、エリーザベト・アマーリアは夫の死後20年の寡婦生活の後に亡くなった。
子女
[編集]エリーザベト・アマーリアは多産で、23回の妊娠を経験し、9男8女の17人の子女を出産した。
- エレオノーレ・マグダレーネ(1655年 - 1720年) - 1676年、神聖ローマ皇帝レオポルト1世と結婚
- マリア・アーデルハイト(1656年)
- ゾフィー・エリーザベト(1657年 - 1658年)
- ヨハン・ヴィルヘルム(1658年 - 1716年) - プファルツ選帝侯
- ヴォルフガング・ゲオルク・フリードリヒ(1659年 - 1683年) - ケルン補佐司教
- ルートヴィヒ・アントン(1660年 - 1694年) - ヴォルムス司教
- カール・フィリップ(1661年 - 1742年) - プファルツ選帝侯
- アレクサンダー・ジギスムント(1663年 - 1737年) - アウクスブルク司教
- フランツ・ルートヴィヒ(1664年 - 1732年) - トリーア大司教、マインツ大司教
- フリードリヒ・ヴィルヘルム(1665年 - 1689年)
- マリー・ゾフィー(1666年 - 1699年) - 1687年、ポルトガル王ペドロ2世と結婚
- マリア・アンナ(1667年 - 1740年) - 1690年、スペイン王カルロス2世と結婚
- フィリップ・ヴィルヘルム・アウグスト(1668年 - 1693年)
- ドロテア・ゾフィー(1670年 - 1648年) - 1690年にパルマ公世子オドアルド2世・ファルネーゼと結婚、1696年にパルマ公フランチェスコ・ファルネーゼと再婚
- ヘートヴィヒ・エリーザベト・アメーリア(1673年 - 1722年) - 1691年、ポーランド王子ヤクプ・ルドヴィク・ソビェスキと結婚
- ヨハン(1675年)
- レオポルディーネ・エレオノーレ(1679年 - 1693年) - バイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルと婚約