エルトムーテ・フォン・ブランデンブルク
エルトムーテ・フォン・ブランデンブルク Erdmuthe von Brandenburg | |
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出生 |
1561年6月26日 神聖ローマ帝国 ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン |
死去 |
1623年11月13日(62歳没) 神聖ローマ帝国 ポメラニア公領、シュトルプ(スウプスク) |
配偶者 | ポメラニア公ヨハン・フリードリヒ |
家名 | ホーエンツォレルン家 |
父親 | ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルク |
母親 | ザビーナ・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハ |
エルトムーテ・フォン・ブランデンブルク(ドイツ語:Erdmuthe von Brandenburg, 1561年6月26日 - 1623年11月13日)は、ポメラニア公ヨハン・フリードリヒの妃。
生涯
[編集]エルトムーテは、ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルク(1525年 - 1598年)と、その2番目の妃でブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ゲオルクの娘ザビーナ・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハ(1548年 - 1575年)との間の長女としてベルリンで生まれた。エルトムーテは科学とラテン文学を愛し、父親のお気に入りの子供であった。
1577年2月17日にシュテッティン(シュチェチン)でポメラニア公ヨハン・フリードリヒ(1542年 - 1600年)と結婚した。7歳のときに、26歳のヨハン・フリードリヒと婚約した。これを機に、両家間の相続協定と、一方が消滅した場合の権利が再び取り決められた[1]。結婚生活は幸せであったとされているが、子供は生まれなかった。流産後、エリーザベト・フォン・ドーバーシュッツ(en)はエルトムーテに熱を下げる薬を与えたが、エリーザベトは後にエルトムーテに魔法をかけて不妊にしたとして告発された。
エルトムーテは、甥のザクセン選帝侯クリスティアン2世とヘゼヴィ・ア・ダンマークとの結婚に尽力した[2]。1596年、エルトムーテは妹ゾフィー(1568年 - 1622年)のために祈りの本を書いた。これは女性のための最古の祈りの本の1つである[3]。
1600年2月9日に夫が亡くなった後、エルトムーテはシュトルプ(スウプスク)を寡婦財産として受け取り、シュトルプ城に居を構えた。1608年にシュヴァンテス・フォン・テッセンが亡くなった後、エルトムーテはシュモルジン(スモウジノ)城の工事にも時間を費やした[4][5]。エルトムーテはミヒャエル・ブリュッゲマンをシュトルプ城教会の牧師に任命した[6]。エルトムーテはシュトルプで亡くなった。
脚注
[編集]- ^ Felix Eberty: History of the Prussian State, Volume 1: 1411-1688, Breslau 1867 p. 143
- ^ Ute Essegern: Princesses at the Saxon court, Leipzig University Press, 2007, p. 59
- ^ Britta-Juliane Kruse: Widows: Cultural History of an estate in Late Medieval and Early Modern Times, Walter de Gruyter, 2007, p. 106
- ^ Christian Friedrich Wutstrack: Short historical-geographical-statistical description of the royal Prussian Duchy of Hither and Farther Pomerania. Stettin 1793, p. 128 and p. 716
- ^ Ludwig Wilhelm Brüggemann: Detailed description of the current state of the Prussian Royak Duchies Hither and Farther Pomerania, Part II, Vol. 2: Description of the Farther Pomeranian circles belonging to the judicial district of the Royal College in Köslin, Stettin 1784, p. 937
- ^ Günther Schulz: Church in the East, volume 37, Oxford University Press, 1994, p. 45
参考文献
[編集]- Daniel Martin Ernst Kirchner: The Electors and queens on the throne of the Hohenzollerns, Wiegandt & Greaves, 1867, p. 30