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エルネスト・ボンタディーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エルネスト・ボンタディーニ(Ernesto Bontadini、1890年6月13日 - 1975年)はイタリア建築家。CAI(イタリア山岳クラブ)とナショナル・アルピニ協会の創設者でもあった[1]

経歴

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エルネスト・ボンタディーニは、1890年6月13日にミラノで生まれた。父はジュゼッペ・ボンタディーニ。ミラノ工科大学で建築を学び、1919年に卒業した。

ボンタディーニは第一次世界大戦中にアルピーニで大尉を務め、その後、多くの勲章を受けた大佐となった。彼は山岳の大の愛好者、専門家でもあり、イタリア山岳クラブ(CAI)の学術教授であり、ミラノのCAI支部の創設者でもあった[2]

ボンタディーニは、1933年の第5回ミラノ・トリエンナーレに参加し、ジョ・ポンティによって企画された最初のパラッツォ・ベルノッキで「アルピーノ・リフージオ」と呼ばれるプロトタイプの木製の40平方メートルのタイニーハウスを発表し、センピオーネ公園に設置された。

彼の最も著名な作品は、ボンタディーニ宮殿(ヴィアレ・ブリンニ44)で、ボッコーニ大学の近くに位置し、アレッサンドロ・リミニと共に設計したものである。リミニとはいくつかのプロジェクトでも協力した。

CAIは、2500メートル以上のマルモラーダにある「エルネスト・ボンタディーニ・ビヴァッコ」避難所を彼に捧げた。また、彼はジャーナリストとしても活動し、多くの年にわたり「建築レビュー」誌に執筆した。

1929年には、ナショナル・アルピニ協会(ANA)所有のコントリン市の再構築の設計を任され、新しい教会の設計も含まれていた[2]

彼の作品やデザインはサルチェ国立博物館に保存されている。

プロジェクトと実績

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脚注

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外部リンク

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