エルベール1世 (ヴェルマンドワ伯)
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エルベール1世 Herbert Ier | |
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ヴェルマンドワ伯 | |
在位 | 892年 - 907年 |
出生 |
848/50年 |
死去 |
907年 |
子女 |
ベアトリス エルベール2世 キュネゴンド |
家名 | ヴェルマンドワ家 |
父親 | ヴェルマンドワ伯ピピン |
エルベール1世(フランス語:Herbert Ier de Vermandois, 848/50年 - 907年)は、ヴェルマンドワ伯、モー伯、ソワソン伯およびサン=カンタンの在俗修道院長。カロリング家の庶流の一員で、フランク王国において重要な役割を果たした。
生涯
[編集]エルベール1世はヴェルマンドワ伯ピピンの息子で、カール大帝の息子イタリア王ピピンの曽孫にあたる。母親はニーベルング家の出身と考えられている。エルベールの前半生については不明である。エルベールは889年以前にソワソン伯となり、ヴァイキングの侵入に対しオワーズ川周辺を守る役割を果たしたとみられる。同時代の記述によれば、エルベールはカロリング家の一員でありカール大帝の玄孫としての利益を享受していたという[1]。エルベールはサン=カンタンおよびペロンヌを支配し、ソンム川上流域におけるエルベールの行動、例えば896年にフランドル伯ボードゥアン2世の弟ラウルを捕らえ殺害したことなどは、907年にボードゥアン2世がエルベールを殺害する要因となったと考えられる[2]。
エルベールはロベール家のロベールと同盟を結ぶため、娘ベアトリスをロベールの2度目の妻とした[1]。また、息子エルベール2世とロベールの娘アデールを結婚させた[1]。もう一人の娘キュネゴンドはコンラディン家のヴェッテラウ伯ウードと結婚した[3]。
子女
[編集]ベルト・ド・モーヴォワとの間に以下の子女をもうけたとみられる。
- ベアトリス(880年頃 - 931年3月26日以降) - 890年頃、後の西フランク王ロベールと結婚、ユーグ大公の母。
- エルベール2世(880年頃 - 943年) - ヴェルマンドワ伯
- キュネゴンド(? - 943年頃) - コンラディン家のヴェッテラウ伯ウードと結婚
脚注
[編集]- ^ a b c Dunbabin 2000, p. 95.
- ^ Riché 1993, p. 236.
- ^ McKitterick 1999, p. 360-361.
参考文献
[編集]- Dunbabin, Jean (2000). France in the making, 843-1180. Oxford University Press
- McKitterick, Rosamond (1999). The Frankish Kingdoms under the Carolingians. Pearson Education Limited
- Riché, Pierre (1993). The Carolingians; A Family who Forged Europe. University of Pennsylvania Press
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