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エルメシンダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エルメシンダ
Ermesinda
アストゥリアス王妃
在位 739年 - ?

出生 8世紀
アストゥリアス王国
死去 8世紀
アストゥリアス王国カンガス・デ・オニス
埋葬 アストゥリアス王国サンタ・クエバ・デ・コバドンガ
配偶者 アルフォンソ1世
子女 フルエーラ1世
ビマラーノ
アドシンダ
家名 アストゥリアス家
父親 アストゥリアスペラーヨ
母親 ガウディオサ
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エルメシンダ(ホセ・グティエレス・デ・ラ・ベガ画、1854年、プラド美術館蔵)

エルメシンダスペイン語:Ermesinda, 720/30年 - ?)またはオルミセンダ(Ormisenda)、エルミセンド(Ermisend)[1]は、アストゥリアスアルフォンソ1世(カトリック王)の妃。アストゥリアスペラーヨガウディオサの娘。

生涯

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ラテン語で書かれた『ヴィギラヌス写本』は、エルメシンダは初代アストゥリアスペラーヨとその妃ガウディオサの娘であり、2代アストゥリアス王ファビラの姉妹にあたるとしている[2]。エルメシンダは自身の王位継承権を、夫でカンタブリア公ペドロの息子アルフォンソに譲った[3]。アルフォンソ1世またはアルフォンソ「カトリック王」として知られる夫アルフォンソは、義兄弟ファビラが739年に死去した後にアストゥリアス王位につき、エルメシンダを王妃とした。

エルメシンダの正確な生年は不明で、記録は残されていないがおそらくアストゥリアスで生まれたと考えられる。没年についても不明である。

埋葬

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サラマンカ司教セバスティアンおよび『スペイン史(Estoria de España)』によると、エルメシンダはカンガス・デ・オニス近くのサンタ・マリア修道院に埋葬された[4]。この修道院はコバドンガ修道院のことであるとされている[5]。夫アルフォンソ1世もコバドンガ修道院に埋葬された。16世紀の年代記作者アンブロジオ・デ・モラレスは、サンタ・クエバ・デ・コバドンガにあったアルフォンソ1世とエルメシンダの墓について次のように説明している。

彼らの墓は、小さな洞窟の主祭壇に面した教会の先頭にある。部分的に彫刻が施されている。それは滑らかな石の石棺であり、一枚の石で蓋がされており、頭側の幅は4フィート(1.2m)、足側の幅は2フィート(0.6m)で、棺のようであるが、上部の形はアーチ型ではなく平らである。その長さは12フィート(3.7m)、高さは3フィート(0.9m)である[注釈 1]

アルフォンソ1世とエルメシンダが埋葬されているとされているサンタ・クエバ・デ・コバドンガの墓には、次の碑文が刻まれている。

ここに、カトリック教徒で聖なる王ドン・アルフォンソ1世と、その妻で彼が後を継いだドン・ファビラの姉妹ドーニャ・エルメシンダが眠っている。この王はムーア人に対して多くの勝利を収めた。彼は757年にカンガスで死去した[注釈 2]

結婚と子女

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エルメシンダとアルフォンソ1世の間には3子が生まれた[4]

  • フルエーラ1世(722年 - 768年) - 父の跡を継いでアストゥリアス王となった。
  • ビマラーノ(765年没) - 兄フルエーラにより殺害された。
  • アドシンダ - 6代アストゥリアス王シロと結婚

注釈

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  1. ^ Su tumba es la que está al cabo de la Iglesia frontero del altar mayor, en una pequeña cueva. En partes está labrada. Es un lucillo de piedra lisa, con cubierta de una pieza, de cuatro pies de ancho a la cabecera y dos a los pies, como ataúd, pero cubierta llana y no tumbada. Su largo, doce pies y tres en alto.[6]
  2. ^ AQVI YAZE EL CATOLICO Y SANTO REI DON ALONSO EL PRIMERO I SV MVJER DOÑA ERMENISINDA ERMANA DE DON FAVILA A QVIEN SVCEDIO. GANO ESTE REY MVCHAS VITORIAS À LOS MOROS. FALLECIO EN CANGAS AÑO DE 757.[7]

脚注

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  1. ^ Floriano 1956, p. 258.
  2. ^ Floriano 1956, pp. 254–255.
  3. ^ Dacosta Martínez 1992, p. 29.
  4. ^ a b Floriano 1956, p. 259.
  5. ^ "Ermesinda", Real Academia de la Historia
  6. ^ Del Arco y Garay 1954, p. 131.
  7. ^ Valle Poo 2000, p. 168.

参考文献

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  • Del Arco y Garay, Ricardo (1954). “Chapter X”. Sepulcros de la Casa Real de Castilla. Madrid: Instituto Jerónimo Zurita. Consejo Superior de Investigaciones Científicas 
  • Valle Poo, Francisco (2000). El solar de un Viejo Reino (Cangas de Onís-Covadonga-Picos de Europa) (1st ed.). Ediciones Nobel S.A.. ISBN 84-8459-004-6 
  • Barrau-Dihigo, L. (1989). Historia política del reino Asturiano (718–910). Gijón: Silverio Cañada. ISBN 84-7286-273-9 
  • Ruiz de la Peña Solar, Juan Ignacio. “Ermesinda”. Real Academia de la Historia. 2022年11月27日閲覧。
  • Floriano, Antonio C. (1956). “Cronología y genealogía de los Reyes de Asturias”. Archivum. Revista de la Facultat de Filosofía y Letras (Universidad de Oviedo) vol. 6: 251-285. ISSN 0570-7218. https://reunido.uniovi.es/index.php/RFF/article/view/3245/3109. 
  • Dacosta Martínez, Arsenio F. (1992). “Notas sobre las crónicas ovetenses del siglo IX. Pelayo y el sistema sucesorio en el caudillaje asturiano”. Studia historica. Historia medieval (10): 9-46. ISSN 0213-2060. https://revistas.usal.es/index.php/Studia_H_Historia_Medieval/article/viewFile/4372/4386.