エルンスト・カシミール・ファン・オラニエ=ナッサウ

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エルンスト・カシミール・ファン・オラニエ=ナッサウ
Ernst Casimir van Oranje-Nassau

出生 (1822-05-21) 1822年5月21日
ユトレヒト州バールンスーストダイク宮殿
死去 (1822-10-22) 1822年10月22日(0歳没)
ブリュッセル
家名 オラニエ=ナッサウ家
父親 オランダ王ヴィレム2世
母親 アンナ・パヴロヴナ
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エルンスト・カシミール・ファン・オラニエ=ナッサウ(Ernst Casimir van Oranje-Nassau, 1822年5月21日 - 1822年10月22日)は、オランダの王族。全名はヴィレム・アレクサンダー・フレデリック・エルンスト・カシミールWillem Alexander Frederik Ernst Casimir)。オランダ王ヴィレム2世の四男。

人物[編集]

エルンスト・カシミールは1822年5月21日オラニエ公ヴィレム(後のオランダ王ヴィレム2世)とその妃であったロシア皇帝パーヴェル1世の皇女アンナの間に第四子としてスーストダイク宮殿ユトレヒト州バールン)で生まれた。6月18日アムステルダム新教会洗礼を受けたが、水頭症のため10月22日ブリュッセルで死去した。満1歳にもなっていなかった。

出典[編集]