エルンスト (オーストリア辺境伯)
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エルンスト豪胆伯 Ernst der Tapfere | |
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オーストリア辺境伯 | |
ランゲンザルツァの戦いで負傷するエルンスト(クロスターノイブルク修道院蔵) | |
在位 | 1055年 - 1075年 |
出生 |
1027年 |
死去 |
1075年6月10日 神聖ローマ帝国 チューリンゲン、ホンブルク・アン・デア・ウンシュトルト |
配偶者 | アーデルハイト・フォン・アイレンブルク |
ズアンヒルト | |
子女 |
レオポルト2世 ユスティツィア アーダルベルト |
家名 | バーベンベルク家 |
父親 | アーダルベルト |
母親 | フロッツァ・オルセオロ |
宗教 | キリスト教カトリック |
エルンスト豪胆伯(ドイツ語:Ernst der Tapfere, 1027年 - 1075年6月10日)は、オーストリア辺境伯(在位:1055年 - 1075年)。
生涯
[編集]エルンストはアーダルベルトとフロッツァ・オルセオロの間の息子である。エルンストは今日のニーダーエスターライヒにあたる、ボヘミア王国およびハンガリー王国の辺境領を併合することにより、ターヤ川、マルヒ川およびライタ川まで領土を拡げた。エルンストの時代に、ヴァルトフィアテル地域の植民地化が、エルンストのミニステリアーレたちによって始まった。
エルンストのあだ名は、エルンストがシャラモンのためにハンガリー王ベーラ1世とその息子ゲーザと戦ったことから、年代記編者ランペルト・フォン・ヘルスフェルトにより名づけられた。叙任権闘争が始まると、エルンストはハインリヒ4世側につき、ランゲンザルツァの戦いにおいてザクセン貴族と戦い、戦死した。
結婚と子女
[編集]エルンストはデド1世の娘アーデルハイト(1030年 - 1071年1月26日)と結婚し、3人の子女をもうけた。
- レオポルト2世(1050年 - 1095年) - オーストリア辺境伯(1075年 - 1095年)
- ユスティツィア(1120/2年没) - ヴォルフラーツハウゼン伯オットー2世(アンデクス家)と結婚
- アーダルベルト1世・フォン・ペルネック(1100年没) - ボーゲン伯
1072年にキームガウ伯ジークハルト7世の娘ズアンヒルト(1120年没)と結婚した。
参考文献
[編集]- Beller, Steven (2007). A Concise History of Austria. New York: Cambridge University Press. ISBN 978-0521478861
- Brooke, Z. N. (1938). A History of Europe: From 911 to 1198. London: Methuen & Company Ltd. ISBN 978-1443740708
- Lechner, Karl (1976). Die Babenberger: Markgrafen und Herzoge von Österreich 976–1246. Vienna: Böhlau. ISBN 978-3205085089
- Leeper, Alexander W. (1941). History of Medieval Austria. London: Oxford University Press. ISBN 978-0404153472
- Lingelbach, William E. (1913). The History of Nations: Austria-Hungary. New York: P. F. Collier & Son Company. ASIN B000L3E368
- Pohl, Walter (1995). Die Welt der Babenberger. Graz: Verlag Styria. ISBN 978-3222123344
- Rickett, Richard (1985). A Brief Survey of Austrian History. Vienna: Prachner. ISBN 978-3853670019
- Wegener, Wilhelm (1965). Genealogischen Tafeln zur mitteleuropäischen Geschichte. Vienna: Verlag Degener
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