コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

エルヴェ・ヴィラール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Hervé Vilard
エルヴェ・ヴィラール
基本情報
出生名 ルネ・ヴィラール
生誕 フランスの旗 フランスパリ (1946-07-24) 1946年7月24日(78歳)
ジャンル ポップ・ミュージック
職業 歌手

エルヴェ・ヴィラール(フランス語: Hervé Vilard1946年7月24日-)はフランスの歌手、作曲家、舞台演出家。1965年、彼のファースト・シングルであるカプリの恋の物語英語版は国際的にヒットした。

略歴

[編集]

ルネ・ヴィラールは1946年7月24日パリのサン=タントワーヌ病院への道中のタクシーで生まれた[1][2][3][4][5]。父親には会ったことがなく[1]、母親も親権を失ったため、パリの孤児院に送られた。その後、ベリー地方の何人かの里親の下へ転々と預けられている[1][2]。その後シェール県ラ・スレット英語版に移り、1957年にアンソニー・アングラン神父と出会い、彼の下で音楽や文学を学ぶ[2][6]

ルネはパリに向かい、画商のダニエル・コルディエ英語版と出会い、1962年に彼の養子となる[2]シャンゼリゼ通りにあるレコード店やナイトクラブで働くようになる[2]。その傍ら、ルネは音楽の才能を磨くために歌のレッスンを受け始める。この頃、マーキュリー・レコードの幹部と出会い、歌手としてのキャリアを歩み始めることとなり[2]、「エルヴェ・ヴィラール」という芸名を名乗るようになる。 1965年6月にマーキュリー・レコードからリリースされたファースト・シングルであるカプリの恋の物語英語版 (Capri c'est fini) は国内外で330万枚売り上げ、有名になった[1][2][3]。 続いて、Mourir ou vivreFais-la rireをリリースし、フランスの有名アーティストとしての地位を高める。1967年から69年にかけてはラテン・アメリカでツアーを行い、ラテン・アメリカでも人気歌手となった。また、トルコや韓国、日本でレコードがヒットするなど国外でも人気となる[2]

その後もフランスではNous(1978年、売上200万枚)、Reviens(1980年、売上100万枚)のシングル盤のヒットやツアーで人気を博す。ツアーではチャリティー公演や孤児院への訪問も行っている[2]。 1992年、フランス文化への貢献が認められ、国家功労勲章が授与された。2004年にはベリー地方に自身の名を冠したコンサートホールが建てられた。同年にはマルグリット・デュラスベルトルト・ブレヒトパブロ・ネルーダルイ・アラゴンなどの詩に音楽をつけたCri du coeurというコンピレーションCDをリリースした[2]

逸話

[編集]
  • Capri c'est finiがヒットした頃、フランスのニュース雑誌のFrance Dimancheフランス語版はヴィラールに母親探しの手伝いを持ち掛け、見返りとして雑誌に再会の際のインタビューや報道の独占権を与える。その結果として、ヴィラールは母親との再会を果たし、France Dimancheの売り上げも伸びた[1]。なお、母親は1981年に亡くなっている[2]
  • 1967年にラジオで自身がバイセクシュアルであることを告白した。有名なフランスの歌手としては初めてのことである[7]
  • パリ・マッチ』誌のインタビューにおいて、ボリビアでのコンサート中に元ナチスの将校クラウス・バルビーがいることに気づき、身柄の拘束やフランスへの強制送還につながったと述べている。

ディスコグラフィー

[編集]
  • Capri c'est fini (1965)
  • Fais la rire (1969)
  • Champagne (1976)
  • Rêveries (1977)
  • Nous (1977)
  • Je l'aime tant (1981)
  • Ensemble (1983)
  • Le Vin de Corse (1986)
  • Tout simplement (1997)
  • L'Amour défendu (1990)
  • Simplement (2002)
  • Cri du cœur (2004)

著書

[編集]
  • L'âme seule Author Hervé Vilard Publisher Libra Diffusio, 2007 ISBN 2-84492-267-8, 978-2-84492-267-0 325 ページ
  • Le bal des papillons Author Hervé Vilard Publisher LGF/Le Livre de Poche, 2009 ISBN 2-253-12590-3, 978-2-253-12590-7、 310ページ

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e Biographie de Hervé Vilard”. music-story.com. 7 August 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。20 October 2011閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k Hervé Vilard”. Radio France Internationale (December 2004). 20 October 2011閲覧。
  3. ^ a b Biographie d'Hervé Vilard”. evene.fr. 20 October 2011閲覧。
  4. ^ Chauvière, M., Le Blanc, V., Plisson, C. & Moser, M. (2010). Le Petit Futé Bourges. Petit Futé. p. 180. ISBN 978-2-7469-2627-1. https://books.google.com/books?id=hpbomwpQW3gC&pg=PA180 
  5. ^ Pratiques, Issues 45-52. Pratiques. (1985). https://books.google.com/books?id=ppBLAAAAYAAJ&q=Hervé+Vilard+taxi. "Bravo Hervé Vilard. Mais les mythes dévorent les hommes, et prématurément, Hervé fut livré en pâturage aux masses gourmandes. ... Le 24 juillet 1946 vers 5 h. du matin, dans un taxi qui conduit sa mère pour l'hôpital Saint-Antoine. ..." 
  6. ^ Benjamin D'Alguerre (2010年). “Herve Vilard”. Olympia Hall. 2019年2月10日閲覧。.
  7. ^ Hervé VILARD - Biographie, émissions... Avec Hervé VILARD”. 2013年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月11日閲覧。