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エンリコ・ダラゴーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エンリコ・ダラゴーナ(Enrico d'Aragona, ? - 1478年)は、南イタリアナポリ王国の王族である。ナポリ王フェルディナンド1世と側妾の1人ディアナ・グアルダートの間の非嫡出子。一族からはアリーゴArrigo)と通称された。

1473年父王によりジェラーチェ侯爵に叙せられた[1]。ポリッセナ・ヴェンティミーリアと結婚し[2]、間に5子をもうけた。エンリコはその死因でその名を歴史に残している[3]。同母兄サンターガタ侯爵チェーザレらと共にナポリ王政府への税を徴収する巡行に赴いた際、グロッテリーアの領主マリーノ・コレアーレの所有するテッラノーヴァ・ダ・シーバリの城館の客人となったが、この城のディナーに出された毒キノコを食して食中毒になり、同席していた人々と共に死んだのである。兄のサンタ―ガタ侯爵も食中毒となったが、回復した[4]

妻との間の5子は以下の通り。なお、一番下の2人は双子である[5]

  • イッポーリタ(1468年 - 1529年) - ヴェナフロ伯カルロ・パンドーネと結婚
  • カテリーナ(生没年不詳) - ジェンティーレ・オルシーニ(ノーラ伯・ピティリャーノ伯ニコロ・オルシーニイタリア語版の末子)と結婚
  • ルイジ(1474年 - 1519年) - 第2代ジェラーチェ侯爵、枢機卿[6]
  • ジョヴァンナ(1477年 - 1510年) - 従兄のアマルフィ公爵アルフォンソ1世・ピッコローミニと結婚[7][8]
  • カルロ(1477年 - ?) - ジョヴァンナの双子の兄弟、第3代ジェラーチェ侯爵

引用・脚注

[編集]
  1. ^ Arden Early Modern Drama, John Webster, ed. Leah S. Marcus, A&C Black (2009) The Duchess of Malfi, p. 16
  2. ^ See Crupi, Pasquino, Rimatori del XV secolo: Roda, Coletta, Maurello, Soveria Mannelli: Rubbettino Editore (2002) p. 89. Also Giurato, Simona, La Sicilia di Ferdinando il Cattolico. Tradizioni politiche e conflitto fra Quattrocento e Cinquecento (1468-1523), Soveria Mannelli: Rubettino, (2003) p.130
  3. ^ See Gambino, Sharo (editor), Lamento per la morte di don Enrico d'Aragona (1478) di Joanne Maurello, Chiaravalle Centrale: Frama Sud, 1983
  4. ^ See Gambino, Lamento (1478)
  5. ^ Marcus, Duchess (2009) p.16
  6. ^ See Giurato, La Sicilia (2003)
  7. ^ See Forker, Charles R., Skull beneath the Skin: The Achievement of John Webster, Southern Illinois University Press, Carbondale, IL., 1986, p.115.
  8. ^ See "The Duchess of Amalfi", The Home friend, SPCK, 1854, pp.452 ff.