エヴロン
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Évron | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | マイエンヌ県 |
郡 (arrondissement) | ラヴァル郡 |
小郡 (canton) | エヴロン小郡 |
INSEEコード | 53097 |
郵便番号 | 53600 |
市長(任期) |
ジョエル・バランドロー (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes des Coëvrons |
人口動態 | |
人口 |
7121人 (2012年) |
人口密度 | 200人/km2 |
住民の呼称 | Évronnais |
地理 | |
座標 | 北緯48度09分20秒 西経0度24分09秒 / 北緯48.155556度 西経0.402500度座標: 北緯48度09分20秒 西経0度24分09秒 / 北緯48.155556度 西経0.402500度 |
標高 |
平均:m 最低:82 m 最高:200m |
面積 | 35.52km2 |
公式サイト | www.evron.fr |
エヴロン (Évron)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、マイエンヌ県のコミューン。
地理
[編集]マイエンヌ県4番目の人口を持つエヴロンは、ラヴァルの東33km、ル・マンの西54kmのところにある。
由来
[編集]ケルト(ガリア)の言葉eburo(ifまたはイノシシ)が要素となって構成される。接尾辞の-oまたは位置を表す-dunoが付けば『要塞化した村』(village fortifié)、-magosが付け足されたとみなせば『平らな土地、市場』となる[1]。
歴史
[編集]最初のノートルダム修道院は7世紀に建てられ、ノルマン人によって破壊された。修道院は981年に一流の技術を持つ人々によって再建された。そしてその壮大さから多くの巡礼者たちが集まるようになった。
1418年にはイングランド軍が町に侵攻し、ユグノー戦争中の1577年にはユグノーによる略奪にあっている。町を防衛する設備は18世紀の建設である。マイエンヌにおけるシュアンの首領、ロシャンボーことギヨーム・ル・メテイエは、エヴロン地区の理事会に司祭追放の法令に抗議するため請願を行った5、6人のうちの1人であった。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2007年 | 2012年 |
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3874 | 4537 | 5407 | 6398 | 6904 | 7283 | 7152 | 7121 |
source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[2]、2004年以降INSEE[3][4]