エーモス・ソーヤー
エーモス・クラウディウス・ソーヤー Dr. Amos Claudius Sawyer | |
任期 | 1990年11月22日 – 1994年3月7日 |
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出生 | 1945年6月15日 |
エーモス・クラウディウス・ソーヤー(英語: Dr. Amos Claudius Sawyer、1945年6月15日 - 2022年2月16日[1])は、リベリア共和国の政治家。アメリコ・ライベリアン。1990年から1994年まで同国の国民統合暫定政府の首班を務めた。
生涯
[編集]ソーヤーは1945年にアベル・ソーヤーとサラ・ソーヤーの間に生まれた。ソーヤー家は著名なアメリコ・ライベリアンの家であった。リベリア人民党(LPP)に加わった。
1990年9月9日にサミュエル・ドウ大統領が誘拐される(後にプリンス・ジョンソンによって処刑された)と、11月22日までの間に首謀者のプリンス・ジョンソンと共謀者のチャールズ・テイラーがともに大統領職を狙った。一方、その直前の8月後半からガンビアの首都バンジュールで行われていた緊急会議で、リベリアの7つの政党と11の利益団体から代表された35人の代表団で行われた投票により、ソーヤーが暫定大統領に選出され、ローランド・ディグス主教が副大統領に選ばれた。当初1年間であった任期は、ジョンソンやテイラー、デビッド・ニムレイといった反対する勢力との戦いによる内戦により、結局4年間にまで延びてしまった。1994年、暫定国家評議会の議長からリベリアの首班の役を解かれた。内戦は1996年に再び始まり、テイラーが大統領職にあった1997年から2003年まで続けられた。
ソーヤーは、ノースウェスタン大学で政治学の博士を取得している。また、アメリカインディアナ州ブルーミントンにあるインディアナ大学ブルーミントン校政治学科において、政治理論と政策分析のワークショップの研究員を務めている。さらに、リベリアのガバナンス改革委員会(現在はガバナンス委員会)の議長も務めている。2005年春には、「Beyond plunder : toward democratic governance in Liberia」という著書を出している。2005年10月に行われたリベリアの大統領選挙では、エレン・ジョンソン・サーリーフを支持した。
脚注
[編集]- ^ “Liberia: Dr. Amos Sawyer, Former Interim President, Dies” (英語). liberianobserver.com. (2022年2月17日) 2022年2月17日閲覧。
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