オクターヴ・タサエール
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オクターヴ・タサエール Octave Tassaert | |
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自画像 | |
生誕 |
1800年7月26日 フランス共和国、パリ |
死没 |
1874年4月24日 フランス共和国、パリ |
オクターヴ・タサエール(Nicolas François Octave Tassaert、1800年7月26日 - 1874年4月24日[1] )は、フランスの画家、版画家である。
略歴
[編集]パリに生まれた。祖父のジャン=ピエール=アントワーヌ・タサエールは有名な彫刻家で、父親のジャン=ジョゼフ=フランソワ・タサエールは画家、版画家で、父親と画商をしていた兄から絵画を学んだ。1816年から版画家のジラール(Alexis-François Girard)の弟子となり、1817年から1825年までエコール・デ・ボザールでギヨーム・ギヨン=ルティエール(Guillaume Guillon-Lethière:1760-1832)に学んだ。
1820年代と1830年代の初めまでは歴史画や肖像画を描いたが、生活を支えるために、版画のための下絵を描いた。1834年のサロン・ド・パリに出展した作品 "La Mort du Correggio" が高い評価を受け、オルレアン公に買い上げられた。この作品は後にエルミタージュ美術館に収蔵された。
1855年のパリ万国博覧会に出展し、批評家からは好評を得たが、徐々に美術の世界から遠ざかり、1857年からは展覧会に出展しなくなった。その後は知り合いの収集家に作品を売った。1863年には作品制作を止め、残された絵画作品を画商に売り払い、詩作を始めたとされるが、文学作品は残されていない。アルコール中毒になり、1865年に重病になり治療を受けるようになり、1873年にパリで石炭ガスの中毒で亡くなった[2]。
作品
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天国と地獄 (1850)
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捨てられた妻(1852)
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薪束を集める女性
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ジャン・ド・デュノワ (1835)
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画家のアトリエ(1853)
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聖イラリオンの誘惑 (c.1857)
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家族に囲まれて泣く女
参考文献
[編集]- ^ Art Fact - Octave Tassaert Biography
- ^ Jean-Louis Robert, Plaisance près Montparnasse. Quartier parisien 1840-1985, Paris, Publications de la Sorbonne, 2012, p. 55 ISBN 978-2-85944-716-8.