オストログスキ家
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オストログスキ家(ポーランド語:Ostrogscy、ウクライナ語:Остро́зькі)は、14世紀から17世紀初頭にかけてリトアニア大公国とポーランド・リトアニア共和国に存在したルーシ系の公家である。ウクライナのヴォルィーニ地方オストローフ町を本領としていた。ゲディミナスの子孫であったが、リューリクの子孫であると自称。自国を持たなかったルーシ人の指導者で、正教会の保護者であった。
当主
[編集]- コンスタンティ・オストログスキ(1460年頃 - 1530年8月30日)
- コンスタンティ・ヴァシーリ・オストログスキ(1526年2月2日 - 1608年2月13日)
- ヤヌシュ・オストログスキ(1554年 - 1620年9月12日)
紋章
[編集]オストログスキ家の紋章
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ Kempa T. Dzieje rodu Ostrogskich. – Torun: Wydawnictwo Adam Marszałek, 2002. – s.151.