オスマン帝国の国歌
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オスマン帝国は、13世紀後半の設立以来、賛歌を使用していたが、19世紀までは特定の帝室歌または国歌を使用していなかった。マフムト2世の治世中、軍隊および皇帝の楽団が西洋の路線に沿って再編成された際、ジュゼッペ・ドニゼッティ(ガエターノ・ドニゼッティの兄)はその指揮に招かれた。オスマン帝国ではドニゼッティ・パシャとして知られた彼は、最初の西洋風の帝室歌、Mahmudiye Marşı(マフムディエ・マルシュ)を作曲した。
当時の他の多くの君主制国家のように、オスマン帝国の国歌は、皇帝あるいは帝室の讃歌であった。したがって、特定の支配者に敬意を払い、皇位継承のたびに新しい国歌が作られた。しかし、1844年、タンジマート改革により、Mecidiye Marşı(メジディエ・マルシュ)はオスマン帝国初の公式の国歌として認められた。また、初の公式の国旗(現在のトルコ国旗と実質的に同一であった)も同年に採択された。
一覧
[編集]# | 国歌 | スルタン | 使用年 | 作曲者 |
---|---|---|---|---|
1 | Mahmudiye Marşı, March of Mahmud[1] | マフムト2世 | 1808年-1839年 | ジュゼッペ・ドニゼッティ |
2 | Mecidiye Marşı, March of Abdülmecid[2] | アブデュルメジト1世 | 1839年-1861年 | ジュゼッペ・ドニゼッティ |
3 | Aziziye Marşı, March of Abdülaziz[3] | アブデュルアズィズ | 1861年-1876年 | Callisto Guatelli |
4 | Hamidiye Marşı, March of Abdulhamid[4] | アブデュルハミト2世 | 1876年-1909年 | Necip Ahmed Pasha |
5 | Reşadiye Marşı, March of Mehmed[5] | メフメト5世 | 1909年-1918年 | Italo Selvelli |
6 | Mahmudiye Marşı, March of Mahmud[1] | メフメト6世 | 1918年-1921年 | ジュゼッペ・ドニゼッティ |
脚注
[編集]- ^ a b March of Mahmud
- ^ March of Abdülmecid
- ^ March of Abdülaziz
- ^ March of Abdulhamid
- ^ March of Mehmed Resad