オスロ・フィヨルド
オスロ・フィヨルド(ノルウェー語: Oslofjorden、英: Oslofjord)は、ノルウェーの南東にある湾である。湾は内側(indre)と外側(ytre)に分けられる。オスロ・フィヨルドは17kmの長さがある、狭い海域(Drøbaksundet)である。オスロ・フィヨルド周辺に住んでいる人々の人口は、オスロを含め約170万人である。
その名前にもかかわらず、オスロ・フィヨルドは、地質学上フィヨルドではない。歴史的には、Viken(英語のBay(湾)に相当)として知られており、現在の名前になったのがいつか、またその理由は何かは分かっていない。
ノルウェー人の画家、エドヴァルド・ムンクはフィヨルドのオースゴールストランに小屋とスタジオを保有しており、『叫び』や『埠頭の少女』(Girls on the Pier)などにオスロ・フィヨルドが描かれている。
オスロ・フィヨルドは、クラス1世界パワーボートチャンピオンシップ(Class 1 World Powerboat Championship)の9つの開催地のうちの1つである。
オスロ・フィヨルドは、1940年のドイツ軍のノルウェー侵攻における重要な戦い(オスロフィヨルドの戦い)の舞台となった。ドイツによる侵攻は1千人の兵を船でオスロへ輸送する計画であった。ドローバック(Drøbak)近くのオスカースボルグ要塞(Oscarsborg festning)の指揮官であるビルゲル・エリクセン大佐は、ドローバック近くの峡谷においてドイツ重巡洋艦ブリュッヒャーを沈め、大きな戦果をあげた。
要塞の抵抗はオスロへのルートを遮断し、その結果、王室、政府、議会、資産を脱出させるのに十分な時間、残りの部隊を釘付けにすることに成功した。ドイツの占領後、クヴィスリング政権が傀儡政権として統治を行なったが、この時の脱出の成功は亡命政府の設立を容易にし、大戦中他の連合国からナチス被占領国としてではなく、連合国として扱われた。