オマリシャラ
オマリシャラ
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座標:北緯43度06分18秒 東経41度50分07秒 / 北緯43.105度 東経41.8353度 | |
国 | ジョージア |
自治共和国 | アブハジア自治共和国 |
地区 | グルリプシ地区 |
テミ (თემი) | アジャラ・テミ |
標高 | 797 m |
人口 (2002)[1] | |
• 合計 | 108人 |
等時帯 | UTC+4 (GET) |
市外局番 | 448 |
オマリシャラの位置 |
オマリシャラ(グルジア語: ომარიშარა、グルジア語ラテン翻字: Omarishara、アブハズ語: Омаришара、アブハズ語ラテン翻字: Omarishara)は、ジョージアのアブハジア自治共和国グルリプシ地区にある村落。アジャラ・テミに属する。アブハジア山脈の南斜面、コドリ川支流グヴァンドラ川沿いの谷地にある[2]。海抜は797メートル[3]。2002年の国勢調査による人口は108人[1]。2008年以降、親露派のアブハジア共和国によって占領されている[4]。
概要
[編集]19世紀前葉の史料には、オマリシャラという名の集落は記載されていない。オマリシャラの名前は19世紀後半からの文献で登場し、1855年に4万人の軍隊を率いてスフミに上陸したオスマン帝国の司令官オメル・パシャに由来すると考えられている。オメル・パシャはグヴァンドラ川とサケニ川の合流点までのコドリ渓谷上流を占領し、支配地域の北東の限界を定めた。オメル・パシャはその後スルタンの命令により、軍とともにサメグレロへと移動した[2]。
オマリシャラ (Омаришара) という名前は、アブハズ語で3つの要素「Омар」「и」「шара」から構成されている。「Омар」は地名の由来となった身分の高い人物の名前、おそらくオスマンの司令官オメル・パシャである。「и」は三人称単数男性の代名詞接頭辞で「彼の」を意味する。「шара」は「区域」「限界」「境界」とうい意味を持つ。
人口
[編集]1959年、オマリシャラの村には280人が住んでおり、そのほとんどがジョージア人であった[5]。アジャラ (アブハジア自治共和国)を中心とする集落群(後のアジャラ・テミ地域)全体の人口は3,239人であり、同様に大多数がジョージア人であった[6]。1989年、村には302人の住民がおり[7]、そのほとんどがジョージア人(スヴァン人)であった[8]。2002年にジョージアが実施した国勢調査によると、オマリシャラには108人が居住していた[1][9]。
参考文献
[編集]- カルトリ・ソビエト百科事典, 第7巻, 524頁, トビリシ, 1984年.
注釈
[編集]- ^ a b c საქართველოს მოსახლეობის 2002 წლის პირველი ეროვნული საყოველთაო აღწერის ძირითადი შედეგები (Report). საქართველოს სტატისტიკის სახელმწიფო დეპარტამენტი. 2003. p. 25.
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を指定する場合、|url=
も指定してください。 (説明) - ^ a b В. Е. Кварчия (2006). Историческая и современная топонимия Абхазии (Историко-этимологическое исследование) (1000 экз ed.). Сухум.
- ^ http://www.geonames.org/612598/Omarishara.html
- ^ კანონი ოკუპირებული ტერიტორიების შესახებ. Archived 2011-01-01 at the Wayback Machine.
- ^ Всесоюзная перепись населения 1959. Сухумский район (вкл. современный Гульрипшский район). Сёла и преимущественные национальности
- ^ Этнокарта Абхазской АССР 1959
- ^ Всесоюзная перепись населения 1989. Абхазская АССР
- ^ Этноязыковые карты Абхазии в 1989. Коряков Ю. Б.
- ^ Перепись населения Грузии 2002