オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ
オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ | |
---|---|
加盟国 | オーストラリア |
越境参加 | ニュージーランド |
創立 | 1977 |
開始年 | 1977 |
最終年 | 2004 |
参加クラブ | 42 |
最新優勝クラブ | パース・グローリー (2回目) |
最多優勝クラブ |
マルコーニ・スタリオンズ サウス・メルボルン シドニー・シティ (4回) |
最多首位クラブ | メルボルン・ナイツ (5回) |
テレビ局 |
セブン・ネットワーク & C7 Sport (1998–2002) ABC (2000) SBS (2002–2004) |
ナショナルサッカーリーグ(National Soccer League)は、オーストラリアで開催されていた国内サッカーリーグである。略称はNSL。
歴史と概要
[編集]長年、オーストラリアのサッカーはオセアニアサッカー連盟(OFC)の強豪として名を馳せるものの、ワールドカップサッカーでは大陸代表になっても、当時のシステムでは大陸間プレーオフを勝ち上がらないと出場できないことになっていた(その項参照)ため、1974年西ドイツ大会を最後に出場から遠ざかっていた(2006年ドイツ大会でようやく出場権獲得)。またオーストラリアのサッカーはオーストラリアン・フットボール(オージーボール)に人気が取られており、リーグ戦の観客動員も今ひとつであった。
そこでオーストラリアのサッカーのレベルアップを図るためにということで、セミプロ組織としてのナショナルサッカーリーグが創設されることになった。
大まかなシーズンの流れは、13チームの1クラス制による2回戦総当たりホーム・アンド・アウェーでリーグ戦を行い、その後上位6チームが準決勝リーグをさらに2回総当りを行い、上位2チームが優勝決定戦を争うという3ステップでリーグ戦を行うというものであった。
リーグの最後期にはパース・グローリーFCや、シドニー・ユナイテッドFC、ウーロンゴン・ウルブスなどが地域密着のチーム運営を進めつつリーグ戦で常に上位に君臨する名門チームに成長した。
その後、財政破綻の問題や民族色が強いチームがほとんどで、それぞれのチームのサポーターが衝突していた問題などを一挙に解決し、さらなるレベルアップを図るために、2005-06シーズンの大会から参加チームを8チームに厳選して完全プロリーグ「Aリーグ」と組織改編して開催することにした。Aリーグのスポンサーには、韓国のヒュンダイ・モーターズ(現代自動車)やリーボックなどがついた。
NSLの問題とAリーグ発足の経緯
[編集]NSLは多くの問題があった。一つは財政破綻の問題である。1970年代から2004年までの間にNSLの累積赤字は日本円で約400億円に上るまでになっていた[1]。毎年、政府はNSLに対して、補助金を支給してきたが、その使途も不透明であった。そのため、政府としてもNSL改革は急務であった。他の問題として、NSLのクラブのほとんどが移民のチームだったことがある。小都市のチームこそ、多人種混合チームも存在したが、大都市では移民のそれぞれの出身国のクラブが競い合っていた。その為、試合では民族間の代理戦争とも言えるサポーター同士の衝突が頻繁に起きた。例えば、クロアチア系移民のチームのシドニー・ユナイテッド(旧シドニー・クロアチア) (Sydney United)とギリシャ系移民のチームのシドニー・オリンピック (Sydney Olympic)の試合では、クロアチア系移民とギリシャ系移民が衝突するわけである。そのような民族色が強い移民のチーム同士のリーグ戦に一般の国民が興味を抱くわけがなく、さらにチーム間のサポーター同士の衝突もあり、一般国民にとってのサッカーのイメージは暴力的で民族色の強い移民のスポーツというものであった。オーストラリアサッカー連盟も何の手も打たなかったわけではなく、1990年代からNSLのチーム名に民族的な由来を示すような名前をつけることを禁止し、「都市名のみ」または「都市名+愛称」の新しい名称に変えることを義務付ける[2]など、移民のスポーツからの脱却を図ったが、決定的な解決にはならなかった。
これらの問題を全て解決するために、2003年に就任したFrank Lowy(フランク・レービ)[3]オーストラリアサッカー連盟会長の下、NSLを清算し、2004年11月に同国初のプロリーグAリーグを発足させた。Aリーグは『民族』ではなく、日本のJリーグ同様『地域性』をコンセプトにすえ(例えば、シドニー市民は、出自の民族に関係なくシドニーFCを応援する)、1都市1チームを原則として、民族色の強いチームを排除し、暴力的なイメージを一新させた。なお、Aリーグに加入できなかったNSLのチームは、規模を縮小し、Aリーグとは別の独自のリーグ戦を開催している。Aリーグは2005年8月より本格的にリーグ戦を開始し、Aリーグ全体平均観客動員数1万人を記録(シドニーFCは平均観客動員数1万5千人)[1]。Aリーグは、移民のスポーツであり、マイナースポーツであるとのオーストラリアのサッカーのイメージを一新させることに成功した。
参加クラブ
[編集]2003-04シーズン
[編集]- アデレード・ユナイテッド (Adelaide United FC)
- ブリスベン・ストライカーズ (Brisbane Strikers)
- フットボール・キングズ (Football Kingz ニュージーランド)
- マルコーニ・スタリオンズ (Marconi Stallions)
- メルボルン・ナイツ (Melbourne Knigts)
- ニューカッスル・ユナイテッド (Newcastle United)
- ノーザン・スピリット (Northern Spirit)
- パラマタ・パワー (Paramatta Power)
- パース・グローリー (Perth Glory)
- サウス・メルボルン (South Melbourne)
- シドニー・オリンピック (Sydney Olympic)
- シドニー・ユナイテッド (Sydney United)
- ウーロンゴン・ウルブス (Wollongong Wolves)
歴代優勝クラブ
[編集]シーズン | 優勝 | 準優勝 |
---|---|---|
1977 | シドニー・シティ | マルコーニ・スタリオンズ |
1978 | ウェスト・アデレード | シドニー・シティ |
1979 | マルコーニ・スタリオンズ | ハイデルベルク・ユナイテッド |
1980 | シドニー・シティ | ハイデルベルク・ユナイテッド |
1981 | シドニー・シティ | サウス・メルボルン |
1982 | シドニー・シティ | セント・ジョージ |
1983 | セント・ジョージ | シドニー・シティ |
1984 | サウス・メルボルン | シドニー・オリンピック |
1985 | ブランズウィック・ジュヴェントゥス | シドニー・シティ |
1986 | アデレード・シティ | シドニー・オリンピック |
1987 | APIAライカート | プレストン・ライオンズ |
1988 | マルコーニ・スタリオンズ | シドニー・ユナイテッド |
1989 | マルコーニ・スタリオンズ | シドニー・オリンピック |
1989-90 | シドニー・オリンピック | マルコーニ・スタリオンズ |
1990-91 | サウス・メルボルン | メルボルン・ナイツ |
1991-92 | アデレード・シティ | メルボルン・ナイツ |
1992-93 | マルコーニ・スタリオンズ | アデレード・シティ |
1993-94 | アデレード・シティ | メルボルン・ナイツ |
1994-95 | メルボルン・ナイツ | アデレード・シティ |
1995-96 | メルボルン・ナイツ | マルコーニ・スタリオンズ |
1996-97 | ブリスベン・ストライカーズ | シドニー・ユナイテッド |
1997-98 | サウス・メルボルン | カールトン |
1998-99 | サウス・メルボルン | シドニー・ユナイテッド |
1999-2000 | ウーロンゴン・ウルブス | パース・グローリー |
2000-01 | ウーロンゴン・ウルブス | サウス・メルボルン |
2001-02 | シドニー・オリンピック | パース・グローリー |
2002-03 | パース・グローリー | シドニー・オリンピック |
2003-04 | パース・グローリー | パラマタ・パワー |
クラブ別優勝回数
[編集]クラブ | 優勝回数 | 準優勝回数 | 優勝年 |
---|---|---|---|
シドニー・シティ | 1977, 1980, 1981, 1982 | ||
マルコーニ・スタリオンズ | 1979, 1988, 1989, 1992–93 | ||
サウス・メルボルン | 1984, 1990–91, 1997–98, 1998–99 | ||
アデレード・シティ | 1986, 1991–92, 1993–94 | ||
シドニー・オリンピック | 1989–90, 2001–02 | ||
メルボルン・ナイツ | 1994–95, 1995–96 | ||
パース・グローリー | 2002–03, 2003–04 | ||
ウーロンゴン・ウルブス | 1999–2000, 2000–01 | ||
セント・ジョージ | 1983 | ||
ブリスベン・ストライカーズ | 1996–97 | ||
APIAライカート | 1987 | ||
ブランズウィック・ジュヴェントゥス | 1985 | ||
ウェスト・アデレード | 1978 | ||
シドニー・ユナイテッド | |||
ハイデルベルク・ユナイテッド | |||
プレストン・ライオンズ | |||
カールトン | |||
パラマタ・パワー |
脚注
[編集]- ^ a b サッカーワールドカップ2006 6/2オーストラリア編(1)「Aリーグ発足の意義」
- ^ [後藤健生著『世界サッカー紀行2002』P440]
- ^ フランク・レービwiki英語版