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オービル・ムーディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オービル・ムーディ
基本情報
名前 オービル・ムーディ
経歴
大学 オクラホマ大学
以前のツアー PGAツアー
チャンピオンズツアー
プロ勝利数 28
優勝数
PGAツアー 1
チャンピオン 11
他ツアー 16
メジャー選手権最高成績
(優勝: 1)
マスターズ T18: 1970
PGA選手権 T7: 1969
全米オープン Won: 1969
全英オープン T11: 1978
受賞
PGA Player of the Year 1969
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オービル・ムーディー(Orville James Moody、1933年12月9日 - 2008年8月8日)は米国のプロゴルファーで、多数のトーナメントでの優勝実績を持つ。1969年の全米オープンでは、地区(ローカル)予選からセクショナル予選を経て勝ち上がり、本戦出場して優勝した20世紀最後のプレーヤーとなった[1]

若年期

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オクラホマ州チカシェイで 10 人兄弟の末っ子として生まれた[2]。父親がゴルフ場の現場責任者だったこともあり、オクラホマシティーのキャピトルハイスクール在学時代の1952年には州のハイスクールゴルフ選手権に優勝している。オクラホマ大学に入学したが数週間在学しただけで米陸軍に入隊した。陸軍でもゴルフを続けることができ、そこで全軍のゴルフ大会で優勝、韓国オープンには3回優勝した。陸軍には14年間在籍し、陸軍の全ゴルフ場の運営や保全を管理統轄する地位にあった[3]

プロゴルファーキャリア

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1967年にPGAツアーに合格して陸軍を除隊。陸軍時代は軍曹 (sergeant) の地位にあったので、ツアー仲間からは「サージ (Serge)」と呼ばれた[3]

1969年以前には PGA ツアーにおいて特筆する実績はない。1969年のグレーターグリーンズボロオープン (Greater Greensboro Open) で4人によるプレーオフが行われた際の一人となったが、このときはジーン・リトラーに破れた[4]

同年6月の全米オープンはテキサス州ヒューストンのチャンピオンズゴルフクラブ(サイプレスクリークコース)で行われたが、ここでムーディーは前年優勝のリー・トレビノをして「とてつもないプレーヤー」と言わせる活躍をした。ムーディーはディーン・ビーマンアル・ゲイバーガーボブ・ロスバーグの3人に1ストローク差の281で優勝した。この年(1969年)のPGAプレーヤーオブザイヤーになった[5]。また、この優勝により、終身シード権を取得した。[6]

現役中合計266の大会に出場したが、この1969年の全米オープン優勝がムーディーとしてのPGAツアーでの唯一の勝利となった(2位が5回)[7]。日本のツアーに参加したりもしたが、最終的にはテキサス州のサルファースプリングスにクラブプロの職を得た[3]。プロとしての初期の時代にはパッティングに難があったという。

シニアPGAツアー(現在はチャンピオンズツアー)に出場するようになって以降は人が変わったように活躍した。50歳になって最初の5試合で3回優勝を果たし、その年の賞金ランク5位になった。最終的にはシニアPGAツアーで11勝した。1989年、全米シニアオープンに優勝し、4人目の全米オープンと全米シニアオープン両方の優勝者となった。ムーディーはシニア入りしてから長尺のパターを使うようになり、これが好成績につながった。

1995年のシーズン前には心臓バイパス手術を受けたが29試合に出場した。

晩年

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2007年まではチャリティその他のゴルフイベントでプレーしていたが、2008年に以前より患っていた脳卒中多発性骨髄腫の合併症[7]によりテキサス州アレンで亡くなった。妻ビバリー、息子及び3人の娘、8人の孫に看取られた[2]

プロでの勝利(28)

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PGAツアーの勝利(1)

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番号 日付 トーナメント 優勝スコア 2位との打数差 準優勝
1 1969年 6月15日 全米オープン +1(71-70-68-72 = 281) 1ストローク ディーン・ベマン、 アルガイベルガー、 ボブ・ロスバーグ

PGAツアーのプレーオフ記録(0–2)

番号 トーナメント 相手 結果
1 1969 グレーターグリーンズボロオープン ジュリアス・ボロス、 ジーン・リトラー、 トム・ワイスコフ リトラーが5番ホールでバーディーを取り勝利
ワイスコフが最初のホールをパーで脱落
2 1973 Bing Crosby Pro-Am レイモンド・フロイド、 ジャック・ニクラウス ニクラウスが最初のホールをバーディーで勝利

その他の勝利(8)

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このリストは不完全です

シニアPGAツアー優勝(11)

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番号 日付 トーナメント 優勝スコア 2位との打数差 準優勝
1 1984年 4月8日 デイトナビーチシニアゴルフクラシック –3(70-74-69 = 213) プレーオフ アーノルドパーマー、 ダン・シークス
2 1984年 5月6日 MONYシニアトーナメントオブチャンピオンズ イーブンパー(71-75-70 = 72 = 288) 7ストローク ダン・シークス
3 1987年 8月16日 ランチョムリエタシニアゴールドラッシュ –11(69-67-69 = 205) 2ストローク ブッチベアード
4 1987年 12月13日 GTEカアナパリクラシック –12(65-67 = 132) 3ストローク ジョン・ブロディ
5 1988年 3月6日 ビンテージクライスラーインビテーショナル –25(66-64-70-63 = 263) 11ストローク アルガイベルガー、 ハロルド・ヘニング
6 1988年 6月5日 シニアプレーヤーリユニオンプロアム –10(70-70-66 = 206) プレーオフ ボブ・チャールズ、 ドン・マッセンゲール、 ボビー・ニコルズ
7 1988年 8月21日 グレーターグランドラピッズオープン –7(68-65-70 = 203) 1ストローク チック・エヴァンス、 ゲイリープレーヤー、 チーチーロドリゲス
8 1989年 6月11日 マツダシニアトーナメントプレーヤーズチャンピオンシップ -17(67-69-64-71 = 271) 2ストローク チャールズ・クーディ
9 1989年 7月2日 全米シニアオープン –9(72-73-64-70-279) 2ストローク フランク・ビアード
10 1991年 6月23日 PaineWebber Invitational –9(69-68-70 = 207) 1ストローク ディック・ヘンドリクソン
11 1992年 8月30日 フランクリンショーダウンクラシック –7(70-67 = 137) プレーオフ ボブ・ベットリー

シニアPGAツアープレーオフ記録(3–4)

番号。 トーナメント 相手 結果
1 1984 デイトナビーチシニアゴルフクラシック アーノルドパーマー、 ダン・シークス プレーオフ2ホール目でバーディー
2 1985 シチズンズユニオンシニアゴルフクラシック リー・エルダー、 ダン・シークス、 ウォルト・ゼンブリスキ プレーオフ3ホール目でエルダーがバーディー
ムーディは2番ホールで敗退
3 1988 シニアプレーヤーリユニオンプロアム ボブ・チャールズ、 ドン・マッセンゲール、 ボビー・ニコルズ 最初のホールをバーディーで優勝
4 1989 南西ベルクラシック ボビー・ニコルズ ニコルズがプレーオフ3ホール目でバーディー
5 1989 ノースビルロングアイランドクラシック ブッチベアード、 フランクビアード、 ドン・ビース ベアードがプレーオフ最初のホールをバーディーで勝利
6 1989 ガトリンブラザーズサウスウェストシニアクラシック ジョージアーチャー、 ジミー・パウエル アーチャーはプレーオフ2ホール目をパーで勝利
7 1992 フランクリンショーダウンクラシック ボブ・ベットリー プレーオフ8ホール目でバーディーでムーディが勝利

シニアメジャーチャンピオンシップは太字で示される。

その他のシニア勝利(8)

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  • 1984ヴァイスロイパナマオープン
  • 1987 Liberty Mutual Legends of Golf (with Bruce Crampton )
  • 1988 Liberty Mutual Legends of Golf (with Bruce Crampton )
  • 1995 Liberty Mutual Legends of Golf -Legendary Division(with Jimmy Powell )
  • 1996 Liberty Mutual Legends of Golf -Legendary Division(with Jimmy Powell )
  • 1999 Liberty Mutual Legends of Golf -Legendary Division(with Jimmy Powell )
  • 2005 リバティミューチュアルレジェンドオブゴルフ -デマレ部門( ジミーパウエルと )
  • 2006 リバティミューチュアルレジェンドオブゴルフ -デマレットディビジョン(with ジミーパウエル )

メジャー優勝

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勝ち(1)

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チャンピオンシップ 54ホール終了時スコア差 優勝スコア 2位との打数差 準優勝
1969 全米オープン -3打差 +1(71-70-68-72 = 281) 1ストローク ディーン・ベマン、 アルガイベルガー、 ボブ・ロスバーグ

結果のタイムライン

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トーナメント 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969
マスターズトーナメント
全米オープン 予選落ち 1
オープンチャンピオンシップ T16
PGAチャンピオンシップ T7
トーナメント 1970 1971年 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980
マスターズトーナメント T18 T20 予選落ち 予選落ち 44
全米オープン 予選落ち T27 T15 予選落ち 予選落ち
オープンチャンピオンシップ 予選落ち T11 T19 予選落ち
PGAチャンピオンシップ T41 予選落ち 途中棄権 T30 予選落ち

予選落ち =本戦2日目までのスコアでの予選落ち(1970年と1980年の全米オープンでは3日目の予選落ち)
WD =途中棄権
「T」=タイ

概要

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トーナメント 優勝 2位 3位 トップ5 トップ10 トップ25 総出場回数 予選落ち回数
マスターズトーナメント 0 0 0 0 0 2 5 3
全米オープン 1 0 0 1 1 2 7 3
オープンチャンピオンシップ 0 0 0 0 0 3 5 3
PGAチャンピオンシップ 0 0 0 0 1 1 6 3
合計 1 0 0 1 2 8 23 12
  • 連続予選落ち回数 – 4(1969全米オープン– 1970マスターズ)
  • 連続トップ10入賞 – 1(2回)

チャンピオンズツアーでのメジャー大会

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勝利(2)

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大会名 優勝スコア 2位との打数差 準優勝
1989 マツダシニアトーナメントプレーヤーズチャンピオンシップ -17(67-69-64-71 = 271) 2ストローク チャールズ・クーディ
1989 全米シニアオープン -9(72-73-64-70 = 279) 2ストローク フランク・ビアード

米国代表チームへの参加

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プロフェッショナル

関連項目

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  • チャンピオンズツアーで最も多く優勝したゴルファーのリスト

参照

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  1. ^ U.S. Open Records - The Last Time It Happened”. USGA. July 8, 2014閲覧。
  2. ^ a b Goldstein, Richard (August 11, 2008). “Orville Moody, 74, Winner of the U.S. Open, Dies”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2008/08/12/sports/golf/12moody.html?_r=0 
  3. ^ a b c Orville Moody bio”. Oklahoma Sports Hall of Fame. July 8, 2014閲覧。
  4. ^ “Littler gets prize in golf playoff”. Lewiston Morning Tribune. Associated Press (Lewiston, Idaho): p. 11. (April 6, 1969). https://news.google.com/newspapers?id=snpfAAAAIBAJ&sjid=xS8MAAAAIBAJ&pg=5660,1211422&dq=orville+moody+greensboro+playoff&hl=en 
  5. ^ U.S. Open History – Past Champions – 1969”. USGA. July 8, 2014閲覧。
  6. ^ この年までは、全米オープンと全米プロの優勝者には終身シード権が与えられていた。翌1970年からはシード権が10年に短縮され、その年に全米プロを制したデーヴ・ストックトンは「あと1年メジャーに勝っていればな・・・」と悔やんでいた。
  7. ^ a b 1969 U.S. Open champion Orville Moody dies”. Golf.com (August 8, 2008). 2014年7月8日閲覧。

外部リンク

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