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カサンドラ (軽巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
発注
起工 1916年3月
進水 1916年11月25日
就役 1917年6月
退役
その後 1918年12月5日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 4,190トン
全長 450 ft(140 m)
全幅 43.6 ft(13.3 m)
吃水 14 ft(4.3 m)
機関 ブラウン=カーチス式ギアード・タービン2基
ヤーロウ缶6基、2軸推進、40,000 shp
最大速 29ノット
乗員 327名
兵装 6インチ砲5門
3インチ砲2門
2ポンド砲2門
21インチ魚雷発射管8門

カサンドラHMS Cassandra)はイギリス海軍軽巡洋艦カレドン級

艦歴

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ヴィッカース社で建造。1916年3月起工。同年11月25日進水。1917年6月就役。

最初はグランドフリートの第6軽巡洋艦戦隊に所属した。1917年8月15日、フェア島で座礁。

1918年11月21日、Edwyn Alexander-Sinclair少将率いる軽巡洋艦「カーディフ」、「カラドック」、「シアリーズ」、「カサンドラ」、「カリプソ」などはバルト海へ向かった[1]。11月29日にコペンハーゲンに到着し燃料補給を行ったが、石炭船が座礁したため石炭焚きの掃海艇への補給は行えなかった[2]。バルト海には機雷の危険があったが、可能な限り早く艦隊に来てもらいたいとのコンスタンティン・パッツからの要請を受け、部隊は掃海艇抜きで出発することとなった[2]リバウを経てレバルへ向かう際、Sinclairは時間短縮のため安全とされる水路から外れた航路をとった[3]

12月5日未明、オーゼル島沖で「カサンドラ」は触雷した[4]。機雷は機関室の直下で爆発し、動力は失われた[4]。艦を救える見込みはなかった[4]。ボートは凍り付いていたため、まず駆逐艦「Westminster」が風上側から乗員の収容を試みたが、14名しか収容できなかった[4]。次いで駆逐艦「ヴェンデッタ」が風下側から向かい、乗員の大半を収容した[4]。その時点でもまだ「カサンドラ」には艦長ら残っており、「シアリーズ」がどうにかボート1艘を降ろして派遣した[4]。その後「カサンドラ」は沈没した[4]。死者は爆発で死亡した10名と「ヴェンデッタ」への収容の際に海に転落した1名の計11名であった[4]

脚注

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  1. ^ Steve R. Dunn, Battle in the Baltic, Orders or Not - Destination Libau
  2. ^ a b Steve R. Dunn, Battle in the Baltic, Alexander-Sinclairt - Destination Libau
  3. ^ Steve R. Dunn, Battle in the Baltic, Destination Libau - CHAPTER 4
  4. ^ a b c d e f g h Steve R. Dunn, Battle in the Baltic, CHAPTER 4

参考文献

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  • Steve R. Dunn, Battle in the Baltic: The Royal Navy and the Fight to Save Estonia & Latvia 1918–20, Seaforth Publishing, 2020