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カサーン・ベイ (護衛空母)

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カサーン・ベイ
1944年9月16日撮影
1944年9月16日撮影
基本情報
建造所 ワシントン州バンクーバーカイザー造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 航空母艦護衛空母
級名 カサブランカ級
艦歴
起工 1943年5月11日
進水 1943年10月24日
就役 1943年12月4日
退役 1946年7月6日
除籍 1959年3月1日
その後 1960年2月2日、スクラップとして売却
要目
基準排水量 8,319 トン
満載排水量 11,077 トン
全長 512フィート3インチ (156.13 m)
水線長 490フィート (150 m)
最大幅 65フィート2インチ (19.86 m)
飛行甲板 474×108フィート (144×33 m)
吃水 満載時20フィート9インチ (6.32 m)
主缶 B&W製ボイラー×4基
主機 5気筒スキナー式ユニフロー蒸気機関英語版×2基
出力 9,000馬力 (6,700 kW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 19ノット (35 km/h)
航続距離 10,240海里 (18,960 km)/15ノット
乗員 士官・兵員860名
兵装
搭載機 28機
その他 カタパルト×1基
艦載機用エレベーター×2基
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カサーン・ベイ (USS Kasaan Bay, CVE-69) は、アメリカ海軍護衛空母カサブランカ級航空母艦の15番艦。艦名はアラスカ州南東部プリンスオブウェールズ島にあるカサーン湾 (北緯55度32分07秒 西経132度29分15秒 / 北緯55.53528度 西経132.48750度 / 55.53528; -132.48750 (カサーン湾)) に由来する。

艦歴[編集]

「カサーン・ベイ」は1942年8月20日にACV-69(補助空母)に分類され、1943年10月24日にCVE-69(護衛空母)として合衆国海事委員会の契約下ワシントン州バンクーバーカイザー造船所でR. W. モース夫人によって進水する。1943年12月4日に海軍に引き渡され、同日B. E. グロウ艦長の指揮下で就役した。

第二次世界大戦[編集]

「カサーン・ベイ」は12月下旬に調整を終わり、1944年1月8日に真珠湾向けの航空機と貨物を輸送する任務に就くため、サンフランシスコを出港した。任務終了後、サンディエゴに寄港の後、ノーフォークに向けて出港し、2月28日にノーフォークに到着してオーバーホールに入った。5月28日、オーバーホールを終えた「カサーン・ベイ」は、護衛空母「ツラギ (USS Tulagi, CVE-72) 」および「ミッション・ベイ (USS Mission Bay, CVE-59) 」とともにニューヨークを出港し、カサブランカへ向けての航空機と貨物の輸送任務を行った。帰途、「カサーン・ベイら」は5月29日に潜水艦「U549」によって撃沈された護衛駆逐艦「ブロック・アイランド (USS Block Island, CVE-21) 」の生存者342名を救助して、6月17日にニューヨークに帰投した。

6月30日、「カサーン・ベイ」はロードアイランド州クォンセット・ポイント英語版を出港し、7月10日にオランに到着。7月の間、来るドラグーン作戦のための演習を繰り返す一方、地中海での対潜哨戒と航空任務に従事していた。8月12日、マルタを出撃し、3日後には南フランス沿岸部に到着。「カサーン・ベイ」の航空機はドイツ軍陣地に対して爆撃や機銃掃射を行い、多数の車両や戦車を破壊した。反撃に出てきたドイツ機2機は、「カサーン・ベイ」などの対空砲火で撃墜された。8月30日、「カサーン・ベイ」は戦場を後にしてオランに寄港した後9月6日に出港し、9月18日にノーフォークに帰投した。

「カサーン・ベイ」は10月にカサブランカへの再度の航空機輸送任務に就き、任務終了後は太平洋艦隊チェスター・ニミッツ元帥)に配置換えとなり、1945年1月2日にサンディエゴに到着した。1月中は高速空母任務部隊(第58任務部隊)マーク・ミッチャー中将)の空母搭載機の補充に従事し、真珠湾、グアムおよびウルシー環礁にて航空機の入れ替えを行った。

「カサーン・ベイ」は2月14日に真珠湾に帰投後、6月上半期までの間は、補充された航空機とパイロットの訓練に従事した。その後、秋に予定されていたダウンフォール作戦に備えてマーシャル諸島マリアナ諸島間の補給路で対潜哨戒を開始した。

戦後[編集]

8月15日に日本が降伏すると、「カサーン・ベイ」はグアムアプラ港に到着。復員兵帰還のマジック・カーペット作戦に参加して、帰還第一陣のベテランの復員兵グループを乗せて9月13日にサイパン島を出港し、9月30日にサンディエゴに到着した。次の3ヵ月の間は、フィリピン方面の復員兵輸送任務に就き、ハワイとフィリピンの間を3往復した。

「カサーン・ベイ」は12月8日にサンフランシスコへ帰還し、1946年1月29日に東海岸へ向けて出航して2月22日にボストンに到着する。1946年7月6日に退役し、大西洋予備役艦隊入りする。予備役艦隊で保管中の1955年6月12日にCVHE-69(護衛ヘリ空母)へ艦種変更される。1960年2月2日にスクラップとして売却された。

「カサーン・ベイ」は第二次世界大戦の戦功での1個の従軍星章を受章した。

外部リンク[編集]