ムンダ (護衛空母)
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2024年7月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
ムンダ | |
---|---|
USS ムンダ(1945年、サンフランシスコ湾) | |
基本情報 | |
建造所 | ワシントン州バンクーバー、カイザー造船所 |
運用者 | アメリカ海軍 |
艦種 | 航空母艦(護衛空母) |
級名 | カサブランカ級 |
艦歴 | |
起工 | 1944年3月29日 |
進水 | 1944年5月27日 |
就役 | 1944年7月8日 |
退役 | 1946年4月24日 |
除籍 | 1958年9月1日 |
その後 | 1960年6月17日、スクラップとして売却され、大阪で解体 |
要目 | |
基準排水量 | 8,319 トン |
満載排水量 | 11,077 トン |
全長 | 512フィート3インチ (156.13 m) |
水線長 | 490フィート (150 m) |
最大幅 | 65フィート2インチ (19.86 m) |
飛行甲板 | 474×108フィート (144×33 m) |
吃水 | 満載時20フィート9インチ (6.32 m) |
主缶 | B&W製ボイラー×4基 |
主機 | 5気筒スキナー式ユニフロー蒸気機関×2基 |
出力 | 9,000馬力 (6,700 kW) |
推進器 | スクリュープロペラ×2軸 |
最大速力 | 19ノット (35 km/h) |
航続距離 | 10,240海里 (18,960 km)/15ノット |
乗員 | 士官・兵員860名 |
兵装 |
|
搭載機 | 28機 |
その他 |
カタパルト×1基 艦載機用エレベーター×2基 |
ムンダ (USS Munda, ACV/CVE-104) は、アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級航空母艦の50番艦。艦名はニュージョージア島のムンダに由来する。
艦歴
[編集]1944年3月29日にワシントン州バンクーバーのカイザー造船所で起工する。当初はACV-104(補助空母)として建造されたが、1943年7月15日にCVE-104 (護衛空母)へと艦種変更された。1943年9月23日に「トノウェク・ベイ (Tonowek Bay) 」と命名されたが、1943年11月6日に「ムンダ」へ改名された。1944年5月27日にジェームズ・E・ダイアー夫人によって進水し、1944年7月8日に海軍に引き渡され、L. A. ポープ艦長の指揮下で就役した。
西海岸での整調後に太平洋艦隊(チェスター・ニミッツ大将)の空母輸送部隊に配属された「ムンダ」は、1944年8月16日に単艦での処女航海に出航する。71機の航空機と202名の兵員を乗せ、9月1日にエスピリトゥサント島に到着。続いてフィンシュハーフェンとマヌス島に向かい、その後アラメダに帰還した。2度目の輸送任務は12月5日に完了し、12月12日に3度目の輸送任務に就く。その後も輸送任務を継続し、1945年中旬まで3度の航海を行った。「ムンダ」は7月3日にエニウェトク環礁で第30.8任務群に加わり、第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)へ航空機とパイロットを運搬した。
「ムンダ」は7月20日に任務部隊に合流し、7月26日まで同地に留まった後、補給のためグアムに向かう。同月末に出航し、8月3日に第38任務部隊と再び合流。空母への補給を行い、7日と11日にも同じ作業を行った。8月13日に艦隊を離れ、グアムへ向かう途中に日本の降伏を知る。「ムンダ」は第30.8任務群に再び加わり、日本占領の第一陣とともに最初の週を沖合で待機し、9月10日に東京湾に入る。
10月2日に東京を出港し、マジック・カーペット作戦に加わる。翌年にかけて帰還兵を輸送し、同任務が完了すると1946年1月18日にワシントン州ポート・アンジェルスで不活性化の準備を始める。「ムンダ」は1946年9月13日に退役し太平洋予備役艦隊に加わり、タコマに停泊する。1955年6月12日にCVU-104(雑役空母) に艦種変更され、1958年4月19日にブレマートンに回航される。その後、9月1日に除籍され、1960年6月7日にニューヨークのジェネラル・オーレ社に売却、大阪で解体された。[1]
「ムンダ」は第二次世界大戦の戦功での1個の従軍星章を受章した。
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- NavSource Online
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。