カステルノーダリ
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Castelnaudary | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オクシタニー地域圏 |
県 (département) | オード県 |
郡 (arrondissement) | カルカソンヌ郡 |
小郡 (canton) | カステルノーダリ小郡 |
INSEEコード | 11076 |
郵便番号 | 11400 |
市長(任期) |
パトリック・モガール (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | Communauté de communes de Castelnaudary et du Bassin lauraguais |
人口動態 | |
人口 |
11 308人 (2007年) |
人口密度 | 237人/km2 |
住民の呼称 | Chauriens |
地理 | |
座標 | 北緯43度19分09秒 東経1度57分16秒 / 北緯43.3191666667度 東経1.95444444444度座標: 北緯43度19分09秒 東経1度57分16秒 / 北緯43.3191666667度 東経1.95444444444度 |
標高 |
平均:m 最低:145m 最高:215m |
面積 | 47.72km2 (4 772ha) |
公式サイト | Site officiel de la ville |
カステルノーダリ (フランス語:Castelnaudary、オック語:Castèlnòu d'Arri)は、フランス、オクシタニー地域圏、オード県のコミューン。かつてはカタリ派の牙城であった。現在はミディ運河の主要川港を持つ。
地理
[編集]かつてのローラゲ地方(fr)の中心地で、トゥールーズとカルカソンヌの中心に位置する。
歴史
[編集]1103年、château neuf d’AriusまたはCastellum Novum Arriという城の記述が最古のものである。
アルビジョワ十字軍の間、十字軍側の指揮官シモン・ド・モンフォール4世(シモン・ド・モンフォールの父)は、1211年にカステルノーダリ包囲戦を行った際、トゥールーズ伯とフォワ伯が本部を放棄した後占領した。
百年戦争中の1355年10月31日、エドワード黒太子率いるイングランド軍はカステルノーダリを略奪した。彼らは慎重に守りの固い都市を避けて、ボルドーの一部やビスカヤ、ナルボンヌに至るまでを大混乱に陥れた。都市は荒らされ破壊されつくされ、住民は虐殺された。
経済
[編集]食品製造、農産品加工が盛んである。
文化
[編集]カスレ発祥の地として知られる(トゥールーズやカルカソンヌとともに、発祥の地であると争っている)。