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ジン・ルイス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カズン・ルークから転送)
ジン・ルイス
プロフィール
リングネーム ジン・ルイス
カズン・ルーク
テキサス・レッド
ザ・モンゴリアン
ザ・モンゴル
カルマ
本名 ジーン・プティ
身長 185cm
体重 118kg - 123kg
誕生日 1949年5月19日
死亡日 (2013-09-29) 2013年9月29日(64歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニュージャージー州の旗 ニュージャージー州[1]
スポーツ歴 アメリカンフットボール[1]
トレーナー デール・ルイス[1]
デビュー 1972年[2]
引退 2000年
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ジン・ルイスGene Lewis、本名:Gene Petit1949年5月19日 - 2013年9月29日)は、アメリカ合衆国プロレスラーニュージャージー州出身[1]

ヒールの中堅選手として、モンゴリアンカウボーイ、ヒルビリー、ペイントレスラーなど、さまざまなギミックのキャラクターを演じた[3][4]

来歴

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1960年代ニュージャージーからフロリダに移住し、タンパ大学にてアメリカンフットボールで活動、チームメイトにはポール・オーンドーフディック・スレーターがいた[1]1972年のデビュー後は、師匠格デール・ルイスの弟と称してジン・ルイスGene Lewis)を名乗り[1]、フロリダ、ルイジアナジョージアテキサスなどアメリカ南部を転戦[2]

1975年カナダモントリオールで活動していた際、同地区に遠征していたアントニオ猪木坂口征二に見込まれ、同年7月に新日本プロレスに初来日[5]。外国人エース格のハンス・シュミットブルート・バーナードと組んでのタッグマッチにおいて、猪木とも度々対戦した[6][7]

その後も前座要員のヒールとして各地のアンダーカードに出場していたが[2]1981年6月25日、中西部NWAセントラル・ステーツ地区にて、ルーファス・ジョーンズを破りTV王座を獲得[8]。以降も翌1982年にかけて、デューイ・ロバートソンマーク・ロメロを相手に同王座を争った[8]

1983年フリッツ・フォン・エリックが主宰していたダラスのWCCWにおいて、辮髪に毛皮のコスチュームをまとった蒙古人ギミックザ・モンゴルThe Mongol)に変身。スカンドル・アクバマネージャーに迎え、5月30日にキング・パーソンズからWCCW認定のTV王座を奪取、7月11日にクリス・アダムスに敗れるまで保持した[9]。11月には全日本プロレスザ・モンゴリアンThe Mongolian)のリングネームで来日[3]鶴見五郎と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦に出場した[10]

1984年には古巣のNWAフロリダ地区にて、カルマKharma)なる顔面ペイントを施した怪奇派レスラーに再変身。ケビン・サリバン率いるアーミー・オブ・ダークネスの一員となって、ワンマン・ギャングバズ・ソイヤー、ヒール時代のジム・ドゥガンらと共闘、ダスティ・ローデスビリー・ジャックと抗争を展開した[1][11]

1985年7月、カウボーイ・ギミックのテキサス・レッドTexas Red)として全日本プロレスに再来日[3]スタン・ハンセンのパートナーに起用され、7月29日に鹿児島県立体育館にて、ジャンボ鶴田&天龍源一郎鶴龍コンビが保持していたインターナショナル・タッグ王座に挑戦した[12]。この日本遠征から帰米中の8月3日、ハワイのアロハ・スタジアムで行われたイベントにジン・ルイス名義で出場し、ゲーリー・フルトン(チャーリー・フルトン)と組んで新日本プロレスの藤波辰巳&木村健吾と対戦[13]。この試合は8月16日の『ワールドプロレスリング』において放送されたが、翌17日の『全日本プロレス中継』にもテキサス・レッドでの試合が録画放送されており、結果として新日本と全日本の両団体の中継番組に2日連続で登場することとなった。

1985年12月より、オーバーオールを身に着けた農夫スタイルのベビーフェイスカズン・ルークCousin Luke)としてWWFに登場。ヒルビリー・ジムアンクル・エルマーらによるヒルビリー・ファミリーの一員となり、ミッドカード戦線で活動した[1][14]。WWFには1986年末までレギュラー出場し、キングコング・バンディビッグ・ジョン・スタッドアドリアン・アドニスカウボーイ・ボブ・オートンハーリー・レイスカマラハーキュリーズジェイク・ロバーツらのジョバーを務めている[15][16]

WWF離脱後の1987年5月、再びテキサス・レッドのギミックで全日本プロレスに参戦、タイガー・ジェット・シンキラー・トーア・カマタのパートナーを務めた[17]。以降はセミリタイアし、1990年代はホームタウンのニュージャージーなど東部地区のインディー団体にカズン・ルークのギミックで時折出場していた[2]

2013年9月29日、死去[2]。晩年は多発性硬化症および糖尿病との闘病生活を送っていた[18]

得意技

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獲得タイトル

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セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツTV王座:2回[8]
ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
  • WCCW TV王座:1回[9]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h Cousin Luke made a lasting impression”. Slam Wrestling (May 23, 2008). 2016年5月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e Cousin Luke: Places”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
  3. ^ a b c 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P82(2002年、日本スポーツ出版社
  4. ^ Gene Petit”. Online World of Wrestling. 2020-0703閲覧。
  5. ^ 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P86(2002年、日本スポーツ出版社
  6. ^ NJPW 1975 Summer Fight Series”. Puroresu.com. 2016年5月31日閲覧。
  7. ^ The NJPW matches fought by Cousin Luke in 1975”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
  8. ^ a b c NWA Central States Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年5月31日閲覧。
  9. ^ a b World Class Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年5月31日閲覧。
  10. ^ The AJPW matches fought by Cousin Luke in 1983”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
  11. ^ The CWF matches fought by Cousin Luke in 1984”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
  12. ^ The AJPW matches fought by Cousin Luke in 1985”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
  13. ^ Polynesian Hot Summer Night”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
  14. ^ Hillbilly Family”. Online World of Wrestling. 2016年5月31日閲覧。
  15. ^ WWE Yearly Results 1986”. The History of WWE. 2016年5月31日閲覧。
  16. ^ The WWE matches fought by Cousin Luke in 1986”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
  17. ^ The AJPW matches fought by Cousin Luke in 1987”. Wrestlingdata.com. 2016年5月31日閲覧。
  18. ^ Former WWE Star Gene “Cousin Luke” Petit Passes Away”. WrestleZone.com (September 30, 2013). 2016年5月31日閲覧。

外部リンク

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