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カッシーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カッシーノ
Cassino
カッシーノの風景
行政
イタリアの旗 イタリア
ラツィオ州の旗 ラツィオ
県/大都市 フロジノーネ
CAP(郵便番号) 03043
市外局番 0776
ISTATコード 060019
識別コード C034
分離集落 #分離集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
地震分類 zona 2A (sismicità media)
気候分類 zona C, 1164 GG
公式サイト リンク
人口
人口 36,497 [1](2018-01-01)
人口密度 440.9 人/km2
文化
住民の呼称 cassinati
守護聖人 聖ベネデット (San Bendetto)
祝祭日 3月21日
地理
座標 北緯41度29分30秒 東経13度50分00秒 / 北緯41.49167度 東経13.83333度 / 41.49167; 13.83333座標: 北緯41度29分30秒 東経13度50分00秒 / 北緯41.49167度 東経13.83333度 / 41.49167; 13.83333
標高 40 (18 - 841) [2] m
面積 82.77 [3] km2
カッシーノの位置(イタリア内)
カッシーノ
カッシーノの位置
フロジノーネ県におけるコムーネの領域
フロジノーネ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア
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カッシーノイタリア語: Cassino)は、イタリア共和国ラツィオ州フロジノーネ県にある都市であり、その周辺地域を含む人口約3万7000人の基礎自治体コムーネ)。県都フロジノーネに次ぎ、県内第二の人口を有するコムーネである。

郊外にあるモンテ・カッシーノ(カッシーノ山)には、ベネディクト会の著名な修道院 (it:Abbazia di Montecassinoがあり、第二次世界大戦の激戦地(モンテ・カッシーノの戦い)としても知られる。

地理

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位置・広がり

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フロジノーネ県南東部に位置するコムーネ。ティレニア海岸のガエータから北東へ38km、県都フロジノーネから東南東へ44km、州都ナポリから北北西へ80km、首都ローマから東南東へ120kmの距離にある[4]

隣接コムーネ

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隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のCEはカゼルタ県カンパニア州)所属を示す。

歴史

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かつてヴォルシ人の共同体カッシヌムが近くにあったが、ローマ人により占領され、以後ローマの都市となった。

歴史的には長らくナポリ王国領の都市で、カンパーニアの古い行政区分であるテッラ・ディ・ラヴォーロ (it:Terra di Lavoroに含まれていた。両シチリア王国領を経て、1860年にイタリア王国への統一後もテッラ・ディ・ラヴォーロ県に所属していたが、ファシスト政権下に行われた行政区画再編によりフロジノーネ県所属となり、ラツィオ地方に含まれることとなった。

第二次世界大戦時、ローマの南方を防御するドイツ軍の要塞線がカッシーノ周辺に築かれ、1944年にはモンテ・カッシーノの戦いでカッシーノの街は完全に破壊された。現在は、1964年に再建されたモンテ・カッシーノ修道院、カッシーノ大学、フィアットの工場などがこの地にある。

1944年の戦闘で破壊されたカッシーノの街

行政

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山岳部共同体

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広域行政組織である山岳部共同体イタリア語版「ヴァッレ・デル・リーリ山岳部共同体」 (it:Comunità montana Valle del Liri(事務所所在地: アルチェ)を構成するコムーネの一つである。

分離集落

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カッシーノには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Caira, Montecassino, San Cesareo, San Michele, San Pasquale, Sant'Angelo in Theodice, Sant'Antonino, San Bartolomeo

脚注

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関連項目

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外部リンク

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